完璧という呪縛
医師のブライアンは、ミスは許されないという姿勢で治療にあたってきました。しかし、入院は不要と判断した患者が一日も経たずに再搬送され、翌日亡くなりました。彼は打ちのめされ、今度こそ完璧にと努めましたが、完璧は不可能と学んだだけでした。
無人スタンド
我が家の近所には、自宅前の道路で野菜や果物、花などを売っている家がたくさんあります。私たちも時々、このような無人スタンドに行きます。自分の好きなものを選ぶと、そこに置いてある料金箱(または缶)にお金を入れます。そして家に帰ると、もぎたての新鮮な果物や野菜を堪能するのです。
さて、この無人スタンドは、みんなの誠実を前提にしていますが、すべての人がその心を尊重するとは限りません。
ジャッキーは花の鉢植えのスタンドを出しています。ある日、窓の外を見ると、つば広の大きな帽子をかぶった身なりの良い婦人がいくつもの鉢を車に乗せているのが見えました。ジャッキーは、売り上げは50ドルほどになるかしらと頭の中で計算してにっこりしましたが、後で料金箱を調べると、なんと中は空っぽでした。この女性には、誠実に行動するという前提は通用しなかったようです。
この人にとって、花を黙って取って行くというのは、大したことではなかったのでしょう。しかし、小さい事に対してどのような態度を取るかは、大きい事に対して誠実に行動するか否かを計る指針になります(ルカ16:10)。生活のすべての面で正直であることは、私たちの救い主、イエス・キリストに栄光を帰することです。
コロサイ人への手紙3章17節は「あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし…」と語ります。クリスチャンにとって誠実とは、このみことばのとおりに行動することです。
すがすがしい率直さ
母の良いところはたくさんありますが、率直なところは特に好きです。母の意見を聞こうと電話をすると、彼女はこう言います。「本当に私の意見を聞きたいのでないなら、聞かないでちょうだいね。あなたに気をつかって、色よいことを言ったりしませんよ。本当に思っていることしか言いませんからね。」
世の中には、保身のために言葉をあいまいにする人が多いので、彼女の率直さは、すがすがしい気分にしてくれます。率直さはまた、真の友情の特質です。真の友は、真実を優しい態度で告げてくれます。たとえそれが、耳障りなことでもです。箴言も「…愛する者が傷つけるほうが真実である」と語っています(箴27:6)。
真実を優しく告げてくださることは、イエスが最高の友であるひとつの理由です。サマリヤの女が井戸端でイエスに会いました。イエスは、どちらでもよいのに意見が対立している小事にはかかわらず、彼女の心の深い部分にある一番大切なことを取り上げられました。イエスは、神は霊ですからと語って信仰のチャレンジを与えられました。また、この女性は、人生の夢が破れて深い失望の中にいましたが、イエスは、そのことについても優しく語りかけられました(ヨハ4:7-26)。
神とともに歩むとき、神が聖書のみことばを通して、私たちの本音に率直に語りかけてくださいますように。悲しみや苦しみの中にいるときも、神と向き合い、神の恵みによって助けられますように。
清算する
太陽がぽかぽか暖かいある日の出来事です。ガレージセールを開き、いらなくなった洋服や古本、食器類などを売ることにしました。掘り出し物を探す人たちの中に、白いビーズのネックレスをじっと見つめている若い女性がいました。ところが、少し目を離した隙に、ネックレスもさっきの女性の姿も消えていました。あたりを見回すと、立ち去ろうとする彼女の後姿が向こうに見えたので、走って追いかけました。声をかけると、手には例のネックレスが握り締められたままです。気まずい雰囲気の中、女性は盗んだネックレスの代金を支払うと申し出てくれました。
取税人ザアカイは、イエスを見たい一心で木に登りました。そしてイエスと出会い、変えられました。彼は、それまでに人からだまし取ったものは4倍にして返すと言ったのです(ルカ19:8)。当時の取税人は、人々から余分に税を徴収し、その上前をはねるのが常でした。だまし取ったものを返し、財産の半分を貧しい人たちに施すというザアカイの熱意から、彼の心に大きな変化が起こったことが伺えます。搾取していた人が、イエスと出会い、自分の行為の償いをした上、今度は施す人になろうと決意しました。
ザアカイの話は、自分も変わりたいと思わせてくれます。何かを取ってしまった、滞納している税がある、または、誰かを傷つけたなどの過去が心に浮かんだなら、それは神が示してくださったのです。清算しましょう。それは、神に栄誉を帰する行為です。