Category  |  永遠のいのち

時を越えて

ウィリアム・シェイクスピアの没後400年となる2016年、英国をはじめ各国の劇団が特別公演を行いました。講演や音楽会、祭典などは盛況で、人々は英語で書かれた不朽の名作の数々を楽しみました。同時代を生きた劇作家ベン・ジョンソンは、「彼は特定の時代の人ではなく、あらゆる時代の人だった」と述べています。

ハエが教えてくれたこと

今の事務所を借りたとき、数匹のハエが死んでいました。生きとし生けるものの行く道です。床や窓枠に死骸が残っていました。私はそれを片付けましたが、ひとつだけ残して眺めました。

つづく…

少年だった1950年代、土曜日の午後によく地元の映画館に行きました。そこで上映されていた冒険シリーズはいつも、主人公が絶体絶命の状況に直面したところで終わります。逃げ道がないところに来ると、毎回「つづく」となって終わるのです。

神とともに永遠に

アメリカ南北戦争直前の不穏な空気漂う1859年のことです。アブラハム・リンカーンは、ウィスコンシン州ミルウォーキーの農業組合で講演しました。彼は、いつの時代でも、どのような状況にあっても真理であり、語るにふさわしい言葉を見つけよと命令された古代国家の賢者の話を紹介しました。王の無謀な命令に、賢者は次のように答えました。「そして、このことも、やがて過ぎ去っていく。」

神の御手に捕らえられて

幼い子どもの手を引いて車の多い道を渡るとき、大人は「しっかり手をつないでいなさいよ」と言い、子どもは一生懸命、大人の手を握ります。しかし、それだけでは不十分です。実際、子どもが守られているのは、大人の方が子どもの手を離さないからです。使徒パウロが、「キリスト・イエスが私を捕らえてくださった」(ピリ3:12)と強調するのは、そういうことです。キリストが私をしっかりとつかんでくださったのです。

パンに勝るもの

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書51-52
◆ ヘブル9
聖書のみことば ヨハネ6:25-36

 
あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。―ヨハネ6:26

アイザック・ペニントンは17世紀のクエーカー教徒のリーダーでした。彼は、「主は私に『私によって生きよ』と語られた。つまり、主から受けるものではなく、主のいのちによって生きるように、と教えられたのだ」と語りました。ヨハネ6章には、イエスによって生きていきたいと願った人々が登場しますが、その意味はかなり違っていました。この人たちは、イエスにではなく、イエスに期待する事柄に対して熱くなっていました。イエスが食物を与え、ローマ帝国の圧制からも解放してくれると期待していたのです。