3人の王
英国王ジョージ3世は、ミュージカル「ハミルトン」の中で、狂った悪役として滑稽に描かれています。しかし、新しい伝記によれば、そのような暴君ではなかったようです。彼が残虐な独裁者だったなら、苛烈な焦土作戦で米国の独立を阻止したはずです。しかし、「進歩的で温厚」な気質だったので、そうはしませんでした。彼は後悔したかもしれません。もっと厳しくしておけばうまくいったかもしれなかったのにと。
賢い忠告
私は仕事をしながら神学大学院に通い、当番制のチャプレンや教会の奉仕もして多忙でした。父に身体を壊すよと言われましたが、意に介しませんでした。父の世代は目標設定というものを知らないと思ったのです。私は病気にこそなりませんでしたが、心が干からびたようでうつっぽくなりました。自分を大切に思ってくれる人の忠告に耳を傾けるべきだと学びました。
愛で導く
著書「霊的リーダーとなるために」の中で、J・オズワルド・サンダースは、レベルの高い配慮と交渉力が重要だと論じます。「これらを合わせると、相手を怒らせず、また原則に妥協せずに、対立する意見を一致させる方法が生まれる」といいます。
裏切られた時に
クルーズ客船オシアノス号は、1991年8月4日、南アフリカ沖合で大嵐に見舞われて沈没しました。船長と乗組員は船内放送も避難誘導もせずに、自分たちだけ逃げてしまいました。乗客でミュージシャンのモス・ヒルズは事態の異常に気づいて、メーデー信号を南アフリカの海上保安庁に送ると、陣頭指揮をとって妻のトレーシーや仲間のエンターテイナーたちとも協力し、乗客全員がヘリコプターで救出されるように誘導しました。
愛の力
指導力について書かれた本がベストセラー入りをすることはよくありますが、そのほとんどは、どうすれば強い影響力を持った指導者になれるかという指南書です。しかし、ヘンリ・ナーウェンは「イエスの御名で ~ 聖書的リーダーシップを求めて」で、指導力について違う視点で書いています。著者は元大学教授ですが、成人の発達障害者施設で数年間働いていました。そしてこう書いています。「問われるべきは、どれだけの人間があなたに耳を傾けるか、どれだけのことを達成できるか、結果を出せるかではありません。あなたはイエスを心から愛しているか、なのです。…孤独と絶望に満ちた世の中で、神の心を分かっている人が本当に求められています。神の心とは、赦したり、心配したりする心です。手を差し伸べ、癒しを求める心です。」
指導者のしるし
寒さの厳しいある冬の日、パデュー大学キャンパスのクラブ・ハウスの前で、ふたりの学生を見かけました。彼らは歩道に張った厚い氷をコツコツ削っています。クラブの先輩に辛い仕事を言いつけられた下級生だろうと思って、「先輩の命令かい。ずいぶん厳しいね」と話しかけると、ひとりが顔を上げてにっこりしました。「いえ、私たちは上級生です。私はクラブの副部長で、この友だちが部長です」と答えました。私は、彼らの働きぶりに感謝を述べてから歩き出しました。それは、人に仕えることこそ真の指導者のしるしだということが、思い出された経験でした。
イエスの弟子ふたりが、来るべき神の御国で主の右と左に座ることを求めたとき、イエスは十二使徒の全員を集めて、「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい」と言われました(マコ10:43-44)。イエスは、ご自分の言葉をちゃんと理解していなかった者たちのために、念を押されたのです。仕えられるためではなく仕えるため、そして、罪の力から私たちを救う贖いの代価として自分のいのちを与えるために、イエスはこの世に来られました(45節)。
真のリーダーシップ、また神に似せられたリーダーシップとは、権力や特権ではなく謙虚に奉仕することです。神は、人々が主の道に歩むように、主の模範に従って指導する力を私たちに与えてくださいます。