エレベーターを修理する
セーラは稀な疾患で関節が外れやすいので電動車椅子が必要です。ある日、電車で会合に行こうとすると、駅のエレベーターが故障していました。エレベーターのある別の駅までは車で40分だと言われ、タクシーを呼びましたが、一向に現れず、外出を諦めました。残念ながら、こんなことはしょっちゅうです。エレベーターの故障で電車に乗れなかったり、障害者用スロープ板を忘れられて、電車から降りられなかったり、駅員に邪見にされて泣きたくなることもよくあります。
神とともに働く
ビル・アッシュは、1962年、メキシコを旅行中に、風力で動く孤児院の手動ポンプの修理を手伝いました。そして15年後、安全な飲み水を貧しい人たちに届けることを通して神に仕えようと決意し、NGOを設立しました。神に目を開かれ、安全な飲料水の提供という共通の願いを持つ人を見つけてともに働くことで、与えられている時間を最大限に生かそうと思ったそうです。その後、100カ国以上、数千人の牧師や伝道者からの要請を受け、安全な飲料水は、世界的な必要だと知り、多くの同労者を募りました。
目的と熱意を持って
空港に行くために車を出し、妻が3歳の孫に「バケーションに出かけよう!」と元気よく言うと、オースチンは神妙な面持ちで「僕はバケーションには行かない。ミッションに行くんだ」と応じました。
得することを選ばない
数人の受刑者たちが刑期を短縮する社会奉仕として、道路のゴミ拾いをしていたとき、監視員のジェイムスが倒れました。駆け寄ると脳卒中かもしれないと分かりました。即座にひとりがジェイムスの電話を取り、救護を求めました。当局は彼らの行動に感謝しました。命が脅かされた監視員を放置して逃走することもできたのに、そうしなかったからです。
座席番号2Dに座る人
ケルシーは11ヵ月の娘と酸素吸入の機器を抱えて、飛行機の狭い通路を進んで行きました。娘には慢性の肺疾患があり、ふたりは治療のために旅をしていました。予約したひとつの座席に親子で座ると程なく、客室乗務員がやって来て、ファーストクラスの乗客が席を代わると申し出ていると言われました。ケルシーは感謝の涙を流しながら通路を歩き、ゆったりとした座席に腰を下ろしました。一方、見ず知らずの親切な乗客が、彼女の席に着きました。
請求書の支払い
ナイジェリアのラゴスの病院で、実業家のジールは「どうしたんだ?」と腰をかがめて尋ねました。太ももを包帯で巻かれた青年は「誰かに撃たれた」と答えました。幸い入院するほどではありませんが、お金を払わなければ帰してもらえません。地域の公立病院は、そういう所が多いのです。ジールは担当者と交渉し、名前を伏せて、基金から払ってあげました。彼はキリスト信仰を証するために基金を立ち上げていたのです。いずれ贈り物によって自由になった人たちが、お返しとして人に与えることを願っています。
近くにいる隣人
多くの自治体がWebサイトを使って、地域がつながるように助けています。私の住む町では、ピューマの目撃情報や山火事の避難指示の他、子育て世代同士が必要に応じてベビーシッターをし合うためにも使われています。迷子になったペットを探すことさえできると分かりました。今日の忙しい生活の中で失われがちだった地域社会のつながりは、インターネットの力によって復活しています。
大切なこと
私は頭を抱え「どうすればできるの?」とため息をつきました。受話器の向こうの友人は「もっと自分を認めるべきだ」と言い、私が働きながら大学院でよい成績を修め、健康的な生活をし、文筆活動をし、聖書研究会に出席するなど、多くのことをしていると言ってくれました。どれも神のために始めたのに、やることにとらわれ過ぎて、その姿勢がなおざりになっていたのでしょうか。それともやることが多すぎたのでしょうか。
大きな神の愛
ドミニカ共和国のサント・ドミンゴの貧困地区に行ったことがあります。トタン張りの家で電線はむき出しです。私はそこで、人々が失業、薬物、犯罪と闘うために、教会がどのように役立っているかアンケート調査をしていました。