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愛が届く

ずいぶん前のことですが、こんな漫画がありました。仏頂面の老人が、しわくちゃのパジャマを着て玄関に立っています。彼は夜の戸締りをしたところでした。カギが4つ、南京錠2つ、それにドアチェーンという用心深さです。そのとき老人は、小さな白い封筒がドアの下にはさまっているのに気づきました。封筒には大きなハート型のシールが貼ってありました。バレンタインです。愛が彼の元に届いたのです。

私が残していくもの

ある日、妻が職場に電話をかけてきて「お隣で何かあったみたい。たくさんの車が来てるの」と言いました。隣人の職業を考えて最悪の事態を恐れました。悪い予感は的中しました。隣人のトレバー・スロット氏は警察官でしたが、ふたり組の銀行強盗を逮捕しようとして殺されたのです。近所の人たちみんなが、大きなショックを受けました。

正義と公平だけでなく

イギリスの労働者は19世紀、劣悪な環境のもとで働きました。大人だけでなく子どもまでが、昼は危険な工場で働き、夜は汚い貧困街の自宅へ帰っていきました。多くの工場主は、労働者の福利厚生に無関心でした。

その瞬間をとらえる

1年で聖書を!
◆ ホセア書11-14
聖書のみことば エペソ5:8-21

賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。―エペソ5:15-16

妻のマーティは買い物上手です。食料雑貨を買うときには表示ラベルを読んで、中身をよく確かめて買います。しかし、それ以上に大切なことは、消費期限を確認することです。消費期限を過ぎたものは食べることができないので、安いからといって無駄な買い物はしません。

ねたみをやっつける

1年で聖書を!
◆ ホセア書5-7
聖書のみことば Ⅰコリント3:1-10

あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。―Ⅰコリント3:3

商売敵のふたりの店主の話です。彼らは毎日、相手の店の様子を気にして張り合っていました。そして自分の店に客が来ると、勝ち誇ったようにほくそ笑んでいました。

イエスを見た

1年で聖書を!
◆ ダニエル書10-12
聖書のみことば Ⅱコリント4:1-10

いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。―Ⅱコリント4:10

何年も前のことですが、自分ではどうすることもできない状況が起こって、ある専門職の仕事を失ってしまいました。そして、生活のために、ふたつの収入の少ない仕事をかけもちしていました。それでも、月々の生活費を賄うことは至難の業でした。そんなとき、私はジョエルとデイブという昔の友だちに再会しました。

家族の一致

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書34-36
聖書のみことば エペソ4:1-16
 
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。―エペソ4:3

私たち家族には面白い習慣があります。それは家族全員が家にいるときに、誰かが「ファミリー・ハグ!」と大声で叫びます。そんなときは大抵、みんな台所にいるので、私はすぐ子どもたちをハグし、夫は私たちみんなに腕をまわしてギュっと抱きしめます。こうして、私たちは互いに対する愛や、家族がひとつであることの喜びを表現します。

こうして時々一体感を楽しむ私たちでも、家族の一致を常に保つのは、容易ではありません。結局のところ、家族はそれぞれ別の人間です。各々に異なった個性があり、必要があり、考え方を持っています。神の家族も同じことです(エペ4:11-12)。

それぞれに違っているという現実は避けられないにもかかわらず、使徒パウロは、「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい」と、私たちに呼びかけます(3節)。クリスチャンの和合が大切である理由は、それが主イエスと天の御父が一体であることの反映だからです。イエスは信じる人たちのために、「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです」と祈られました(ヨハ17:21)。

神の家族の間で問題が起こったときには、「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い」なさいと、聖書は教えています(エペ4:2)。これが、信仰の根本的な原理をともに信じる人たちが、神の家族の一体感を体験する方法です。

(Jennifer Benson Schuldt)

私たちの心は、キリストの愛によって結ばれている。

善を見ならいなさい

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書25-27
聖書のみことば Ⅲヨハネ
 
愛する者よ。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者です。―Ⅲヨハネ1:11

大抵の人は、人生は悲喜こもごもだと認めています。結婚生活や友人関係、家庭や職場、教会においてもそうです。ところが、キリストを礼拝し、キリストに仕えることを求める人たちの集まりの中で、自己中心性がむき出しになると、私たちは驚き落胆します。

使徒ヨハネは、友人ガイオに宛てた手紙の中で、真実な行いをし、気前良くもてなしている教会の人々を褒めています(Ⅲヨハ1:3-8)。ところが、「彼らの中でかしらになりたがっている」(9節)デオテレペスは、その教会の中にとげとげしい雰囲気を作り出していました。

ヨハネは、次に教会を訪問する時はデオテレペスに意見をすると約束し、教会の人たちには、「愛する者よ。悪に見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者です」(11節)と語って、彼らを励ましました。このヨハネのことばは、パウロがローマの教会に語ったことば、「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ロマ12:21)と一致しています。

対立が過熱すると、やられたのだからやり返す、という誘惑にかられます。けれどもヨハネは、悪い態度や行いから離れて、良い態度や行いをすることを熱心に勧めています。これこそが、救い主に栄光を帰す道です。

(David McCasland)

光は闇に打ち勝ち、善は悪を打ち負かす。

たぐいまれな聖歌隊

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書47-49
聖書のみことば ローマ15:5-13
 
それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。―ローマ15:6

往年の人気テレビ番組「ミッチと歌おう」のミッチ・ミラーが、2010年7月に亡くなりました。「さあ、一緒に歌いましょう」と皆を招いて歌っていた姿が偲ばれます。1960年代人気を博したこの番組は、親しみ深い楽曲をミッチ率いる男声合唱団が歌い、同時に歌詞が画面に映し出され、視聴者も一緒に歌えるというものでした。ロサンゼルス・タイムズ紙の記事によると、ミッチは合唱団の魅力が番組成功の鍵を握ると考えていたそうです。そして、「団員を新しく迎えるときには、背が高い人、低い人、禿げていたり、太っていたり…身近にいそうなタイプの人たちを選ぶことにしていました」とも言っていたそうです。多様な人たちが一体となることで美しい音楽が生まれ、誰もが合唱団の一員になれるように感じさせてくれたのです。

使徒パウロはローマ人への手紙15章で、「心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるため」(6節)に一体になろうと、クリスチャンたちに呼びかけました。旧約聖書のみことばを引用して、ユダヤ人も異邦人も、ともに神をほめたたえ(9-12節)ようと語りました。深い溝のあった人たちでも、キリストを通して現された神のあわれみに対し、ともに感謝をささげることができます。こうして、ひとつになることなど不可能と思われた人たちの一致が、 現実のものとなりました。私たちもこの人たちのように、「聖霊の力によって」(13節)、喜びと平安、そして望みに満たされます。

私たちはたぐいまれな聖歌隊の一員です。「さあ、いっしょに歌いましょう。」ともに歌えるとは、なんという光栄でしょう。

(David McCasland)

キリストを信仰する人たちの一致は、キリストとひとつとなることから始まる。