最終節
アメリカの詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローは1861年の夏、妻フランシスを大やけどで亡くしました。その年のクリスマス、彼は日記に「この時期は言葉にできないほど悲しい」と記し、翌年には「メリークリスマスと子どもたちは言うけれど、そういう気にはなれない」と記しました。南北戦争が長引いていた1863年、息子は彼の意に反して戦地に赴き、重傷を負いました。その年のクリスマス、教会の鐘が鳴り、辛い日の訪れを告げました。ロングフェローはペンを取り、「クリスマスの日、私は鐘の音を聞いた」と詩を書き始めました。
完璧への道
クリスマスは完璧を求める気持ちが大きくなるときです。私たちは、最高のクリスマスを実現するために食事の献立を考え、プレゼントやカードを選び、メッセージを添えて送ります。しかし、まごころを込めたプレゼントに「ありがとう」の一言もなかったり、クリスマス料理がうまくできなかったり、カードを送ったあとで文字の間違いに気づいたり、パーティの最中に子どもたちがおもちゃの取り合いをしたり、家族が昔のことをむし返して口論したらどうでしょう。あまりにも完璧を思い描きすぎて、それを実現できないと、頑張りの終着点は失望です。
水といのち
デイブ・ミューラーが蛇口をひねると水が勢いよく流れ出て、周りにいた人たちが拍手しました。みんなは、村にきれいな真水が初めて来たことを祝いました。清潔な水源を得て、ケニヤのこの村の人たちは、新しい生活を始めることができます。
十字架と王冠
ロンドンのウェストミンスター寺院には長い歴史があります。10世紀にベネディクト修道会の修道士たちが日々の礼拝をささげるようになり、その伝統は今日もつづいています。1066年以来、英国王の戴冠式が行われ、また、多くの著名人がここに眠ります。事実、ここで即位した王の内、17人は、ここに埋葬されています。彼らの統治は、ここで始まり、ここで終わったのです。