時間を止められたなら
◆ Ⅰ列王記10-11
◆ ルカ21:20-38
主の栄光が主の宮に満ちたからである。―Ⅰ列王記8:11
毎年5月が巡ってくると、うれしくて時計を止めたくなります。弱々しい新芽が、硬い土や冷たい枝に押しとどめられることなく芽吹いて、「死」が打ち破られていくのを見るからです。私の住むミシガン州に春がやってきました。たった半月の間に冬枯れの風景が、香りと彩り豊かな花に飾られた木立に生まれ変わります。春の景色や音、そして香りに飽きることはありません。時間が止まってほしいとさえ思います。
永遠の賛美
◆ Ⅰサムエル記15-16
◆ ルカ10:25-42
見よ。わたしは、すべてを新しくする。―黙示録21:5
ふたりの幼い兄弟は毎週日曜日の礼拝で最前列に座り、自分たちの父親が会衆賛美をリードするところを見ていました。ある晩、父は子どもたちをベッドに寝かしつけると、ひとりが泣いているのに気づきました。どうしたのかと聞いても息子は口ごもっています。しかし、ついに口を開きました。「パパ、聖書には僕たちは天国で永遠に神さまを賛美するって書いてあるよ。そんなの長過ぎるよ!」彼は天国が、父親がリードしているような賛美が長々とつづいている場所だと想像したので、すごく退屈だと思ったのです。
おびえた涙
◆ 民数記34-36
◆ マルコ9:30-50
巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。―黙示録5:4
ヨハネ(イエスの愛された弟子であり偉大な使徒のひとり)は、泣き出してしまいました。
彼は獄中で幻を見ました。そこは、神の御座が置かれた部屋で、未来の出来事が明らかにされていました(黙5:1-12)。ヨハネは、天国におられる神が、封印された巻き物を持っておられるのを見ました。神の臨在の栄光を見つめつつも、ヨハネが泣いた理由は、その巻き物を開ける者がひとりもいなかったからです。神の最後の啓示を明らかにして、歴史というドラマを完結させる者がいなかったのです。
ヨハネは使徒として、罪の力を見てきました。また、罪を打ち破るイエスの人生と死も目撃しました。そして、イエスの昇天も見ました。しかし今、巻き物を開いて罪を永遠に打ち負かすことのできる者はいません(4節)。ヨハネはおびえていました。
完全な平和と休息
◆ 民数記12-14
◆ マルコ5:21-43
あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、―詩篇71:20
今日の聖書のみことば、詩篇71篇の作者は、多くの苦しみと悩みに遭いましたが、神は自分を再び生き返らせてくださると心の奥底で信じていました(詩71:20)。「再び生き返らせる」の文字通りの意味は、「再度、命のある状態にする」です。詩篇の作者は「(あなたは)私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。あなたが私の偉大さを増し、ふり向いて私を慰めてくださいますように」(20-21節)と述べています。苦難の人生がずっと続いていたとしても、天国に着いたときにはもう終わっています。
なぜ今、行けないのですか
◆ 創世記27-28
◆ マタイ8:18-34
ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで ―使徒13:36
友人は長年、宣教師としてスリナムで働きました。そして晩年、病気で身体が麻痺しました。「神はなぜ、僕を生きながらえさせるのだろう。主のもとに行きたいのに…」と彼は思いました。
「生きているのが辛い」という状況の人がいたとしたら、なぜ、神はこんな状態をつづけられるのか、と思うかもしれません。イエスが御国に戻っていかれるとき、「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか」(ヨハ13:37)とペテロは尋ねました。ペテロのように、今すぐ御国に入れていただけないのはなぜだろう、と思うかもしれません。
本当の蓄え
◆ エレミヤ書24-26
◆ テトス2
出て来たときと全く同じようにして去って行く。―伝道者の書5:16
私たち夫婦はある日、売り出し中の不動産物件に立ち寄り、家の中を見て回りました。洗濯機に乾燥機、照明器具や床の敷物、食器棚、そして食料品まで、すべてが売り物です。この家の物の数には圧倒されました。ダイニング・テーブルの上には、食器セットが乱雑に並べられ、玄関から居間につづく廊下はクリスマス飾りで埋め尽くされていました。ガレージには、工具、ミニカー、ゲーム、アンティーク人形などがあふれていました。家主は引っ越したのでしょうか。それとも、お金に困って家を売ろうとしたのでしょうか。もしかしたら、亡くなったのかもしれません。家を後にしながら、そんなことを思いました。