隠れた生活
何年か前に、ジョージ・マクドナルドの「隠れた生活」という詩に出会いました。才気あふれるスコットランド人の青年が一流の学者の地位を捨て、老いた父の暮らす実家の農場に帰っていくという物語です。友人たちは、彼が自分の才能を無駄にしていると嘆きました。しかしこの青年は、マクドナルドが「普通の行い」とか「さり気ない援助」と呼ぶことを実行します。
誰も来なかった夜
偉大な作曲家、バッハにまつわる物語です。ある冬の夜、バッハは新曲を披露することになっていました。会場の教会は聴衆でいっぱいだろうと考えながらやって来ると、一人も来ていないと告げられました。バッハはまったく動揺した様子もなく、楽団員たちに予定通り演奏すると告げました。彼らがそれぞれの持ち場につくと、バッハは指揮棒を振り上げました。誰もいない教会が荘厳な音楽で満たされました。
人生を作り出す
自己啓発本にあった「あなたが得意なことだけをしなさい。あなたが最高に満足できるのは、そのような時なのだから」というアドバイスは、一見、役に立ちそうです。自分の求める人生を作るというのが、この本の著者の主張でした。しかし、みなさんの場合は分かりませんが、私の場合は、もし自分の得意なことだけをしていたら、結局は何も仕上がらないと思います。
しっかりと立つ
高校の地学の最終授業の自由研究で、私は友人と一緒に水路の実験をする箱を作りました。父にたくさん助けてもらい、中央に蝶番のある長い合板の箱を作りました。そしてビニールで防水加工し、砂を詰めました。箱の片方の端にホースを付け、反対側には排水口を作りました。実験箱が完成すると、片方の端を持ち上げ、水を流しました。すると、反対側の穴へ向かってまっすぐな水の筋ができました。次に、水路の途中に石を置いて、水の筋がどのように変わるのかを観察しました。
仕えること、証すること
グラディス・アイルワードは20世紀初め、ロンドンで家政婦をしていましたが、彼女には夢がありました。宣教師になって中国に行くことです。しかし、資格がないと断られたため、自力で中国に行こうと決心しました。28歳のときです。今まで働いて蓄えた貯金をはたき、中国の奥地のヤンチェンという村へ行く片道切符を買いました。彼女はそこで隊商宿を始め、聖書の話を語るようになりました。グラディスは他の村々にも尽くし、アイ-ウエ-デ(中国語で「徳の高い人」という意味)として知られるようになりました。
田舎の医者
シンクレア・ルイスの小説「本町通り」は、田舎の開業医と結婚した洗練された都会の女性、キャロルの物語です。彼女は、新しく暮らすことになった小さな町で、自分はみんなより優れているとお高く止まっていました。しかし、重症の患者に対応する夫の姿を見て、自分の間違いを示されます。それは移民の小作農が大怪我をして運びこまれ、腕を切断しなければならないというときでした。キャロルは、患者と取り乱している患者の妻を優しく励ます夫の姿を見て、心から彼を尊敬しました。暖かく真摯に人に仕える医師の姿は、プライドに凝り固まったキャロルの心に衝撃を与えました。
欲張りな 鳥たち
毎年、ハチドリのためにえさ場を作ってあげます。すると、せわしない小鳥たちがやって来て、えさ場を取り合います。「テーブル」には4つの席を設けてあるのですが、彼らは先客の席が気になるようで、それを横取りしようとしてけんかになります。それぞれの「席」には、下にあるひとつの容器から同じシロップが提供されています。すべての席に同じ食べ物があるのですから、私は、この鳥たちの強欲な負けん気にあきれるばかりです。
神に栄光あれ
主日礼拝をささげようと訪れた教会で、ジェイソンは突然、特別賛美をするように頼まれました。礼拝開始直前に頼まれたのですが、彼は快く引き受け、誰もがよく知る「おおみ神をほめまつれ」を賛美することにしました。これは彼にとって、特別な意味を持つ歌でした。ジェイソンは、教会の地下室で何度か練習し、礼拝ではアカペラで歌いました。
常に準備を
帰省していた息子が、ある朝私の書斎に来て「何をしているの」と尋ねたので、「日曜学校の準備をしているんだ」と答えました。そのときふと、書斎にいるときはいつも何かの準備をしていることに気づきました。私は、神が福音のために私を用いてくださっていることを感謝していますが、常に他人のために準備を整えておかなければならないのは、それなりのストレスがあります。私には大学の授業や教会のメッセージ、さまざまな提出書類の準備があるので、優先順序を正しく整えるのは容易ではありません。
そんなこんなで、準備について聖書が何か語っていないだろうかと興味をそそられ、調べてみました。すると、私たちは「常に準備をしておくように」と命じられていました。神に心をささげた人とは、いつでも神に用いられるように準備している人のことです(Ⅰサム7:3)。私たちには、よいわざを行う準備(Ⅱ テモ2:21)や霊的な真理を攻撃から守る準備(Ⅰペテ3:15)が必要です。また使徒パウロは、計画を立てて献金する準備をしなさいと教えています(Ⅱ コリ9:5)。
これは始まりにすぎません。神に喜んでいただく人生とは、知性や霊性の準備を怠らず、肉体の健康にも配慮した生き方です。しかし、だからといってストレスを感じる必要はありません。なぜなら、神が御自身の力で、私たちを導いてくださるからです。
神に導かれて準備しましょう。そして、神に仕え、神をあがめ、人々にイエスを伝えていきましょう。