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従うことが、礼拝すること

キリスト教系高校の聖歌隊の引率をして、各地の教会を訪問しました。生徒たちが礼拝賛美で奉仕するのを目の当りにするのは、嬉しい体験です。しかし、教会以外の場所で目撃した彼らの行動は、それ以上に素晴らしいものでした。ある日、生徒たちはガソリンを買うお金のない女性に出会い、即座にカンパを決めました。神の導きだと思ったからです。彼らは数回の給油に相当する額を彼女に差し上げました。

待ちなさい

サンフランシスコで車の渋滞に巻き込まれた男性が、しびれを切らして隣の車線に移りました。そして、停車している車の列を追い越して行こうとしました。ところが、この車線は工事中で新しいセメントが敷かれたばかりです。男性のポルシェ911は、セメントの泥にはまって動かなくなってしまいました。彼の短気は非常に高くついたのです。

聖書にも、忍耐できなかったために高い代償を払った王の話があります。イスラエルの王サウルは、ペリシテ人との戦いを目前に控えて、神の祝福を得ようと思いました。ところが、いけにえをささげるはずのサムエルが予定どおりに到着しません。サウルは忍耐することができず、しびれを切らせて神の命令に背いてしまいました(Ⅰサム13:8-9、13)。遅れに我慢できない性格が、サウルを自分は律法以上の者だと勘違いさせました。そして、祭司にしか許されていない奉仕を行ったのです。神の教えに従順でなくても何とかなると思ったのかもしれませんが、それは間違いでした。

到着したサムエルは、サウルの不従順を批判し、その罪のために王国を失うだろうと預言しました(13-14節)。サウルは、神のご計画が実現されていくのを忍耐して待つということを拒絶して急ぎ足で行動し、大きな失敗を犯しました(箴19:2参照)。サウルの忍耐の無さは、彼の不信仰を顕著に現していたのです。

神のみこころの実現を忍耐強く待つなら、主がともにいて導いておられることは明らかにされてきます。

何のかかわりがありますか

母の日礼拝などで特別賛美をするとき、子どもたちが指揮者に注意を向けることはありません。もじもじしたり、隣の子をつついたり、会衆の中に親を探そうときょろきょろしたりします。もちろん、口を動かして歌っているときもありますが、それでも指揮者を見てはいません。とはいえ、このような子どもの様子は可愛らしいものです。

一方、大人の聖歌隊は違います。全員がきちんと指揮者に注目しなくてはなりません。美しい賛美は、こうしてひとつになることによって初めて可能だからです。

私たちクリスチャンは、子どもたちの特別賛美のようではないでしょうか。まわりの人に気を取られて、人生の指揮者であられるイエスにしっかりと注目していないのではないでしょうか。

イエスは、ペテロのこのような態度を正されました。ペテロは、自分の将来について聞かされた後、「この人はどうですか」と尋ねました。するとイエスは「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」と答えられました(ヨハ21:21-22)。

私たちは、人のことが気になって心が乱れることがあります。自分に備えられた神のご計画を他人のものと比べて、うらやましく思うことがあります。しかし、すべての人に備えられた神のご計画の本質は同じです。それはすなわち、イエスに従うことです。イエスをしっかりと見つめましょう。そうすれば、他人のことを気にして心を乱すことはなくなります。

境界線に感謝しよう

これまで多くの人々と出会いましたが、神の命令に従ったために人生がめちゃくちゃになったという人に会ったことはありません。ところが、自分の生き方を神の道に合わせて変えていくべきだと語ろうものなら、今は個人の自由は不可侵の権利という時代ですから、「権利を侵害している」と見なされてしまいます。

思いもよらない励まし

励まして欲しいと今、思っていませんか。次から次へと悪いことが起こるので、元気をくれる何かが欲しいと思っていませんか。ダビデの詩篇が、その願いをかなえてくれます。この否定的と思われがちな言葉を通して、思いがけない励ましを得ることができるのです。

誠実と信仰の人生

父親の90歳を祝って、兄弟と一緒に誕生パーティを開きました。2010年のことです。私は自宅を開放し、家族や友人たちを招いておいしい食事でもてなしました。居間にあるバンジョー、ギター、マンドリン、アップライト・ベースにアイリッシュ・ドラムといったさまざまな楽器を手に取り、皆で一日中歌いました。大きなバースデーケーキにはこんなメッセージが書かれていました。

注意書き

電化製品から玩具に至るまで、今日ではさまざまなものに注意書きが付いています。医薬品の説明書にも、ありとあらゆる使用上の注意が小さな文字で書かれています。

ダメと言われたら

湖畔にあるマーティの別荘に初めて行ったとき、彼は「ダメと言われない限り、いつ、どこで、何をしてもいい。それがここのルールだよ」と言いました。マーティと妻のリンは友人を別荘に招待することが大好きで、客人が自由に楽しいときを過ごせるように配慮してくれます。私たちは、手漕ぎボートやヨット、モーターボートが並んでいるのを目にし、ワクワクしました。

ルツの選択

聖書の時代、夫を亡くした女性は貧しい暮らしを強いられました。ルツと姑のナオミも例外ではありません。しかし、神はご自分の大きなご計画にルツを組み入れながら、ふたりの生活を守るように計らわれました。