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羊の群れのように

1年で聖書を!
◆ 詩篇77-78
◆ ローマ10
聖書のみことば 詩篇77:11-20
  
あなたは、ご自分の民を、モーセとアロンの手によって、羊の群れのように導かれました。―詩篇77:20

牧羊犬の働きぶりを見せるイベントの中で、犬のトレーナーが説明しました。羊は野獣に襲われやすく、外敵から身を守る主な方法は、しっかりと集まってひとつの群れになることです。彼は「単独でいる羊は死んだも同然です。犬は羊を移動させるとき、いつも群れにまとめるようにします」と言いました。

観客は誰?

1年で聖書を!
◆ レビ記26-27
◆ マルコ2
聖書のみことば 詩篇50:7-15

 
感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。― 詩篇50:23

教会の礼拝をエンターテイメントの時間であるかのように感じているときがありました。セーレン・キェルケゴールは、私たちのような人々について、教会を一種の劇場だと考える傾向にあると述べています。私たちは観客の中にいて、熱心に舞台の上の役者を見物しています。十分に楽しませてもらったら、拍手や歓声で感謝の気持ちを表します。しかしながら教会は、劇場とは正反対のものであるべきです。「神」が観客です。神は、私たちの礼拝をご覧になっています。

偏見を 乗り越える

1年で聖書を!
◆ 出エジプト記39-40
◆ マタイ23:23-39
聖書のみことば コロサイ3:8-17

 
そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、……奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。―コロサイ3:11

ワシントンポスト紙の記事によると、偏見の実態に関する研究の結果、ほとんどの人は偏見を抱いており、偏見は良くないと積極的に反対する人でさえ、その影響を受けていることが分かりました。ケンタッキー大学の心理学者によれば、私たちの自尊心は、自分の属しているグループが他より優れている、という優越感からくると言います。偏見を乗り越えるのは簡単ではありません。それは、神の家族であっても同じことです。

シマウマとヌー

1年で聖書を!
◆ ホセア書9-11
◆ 黙示録3
聖書のみことば Ⅰコリント12:14-26

 
からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。―Ⅰコリント12:25

私たち夫婦の乗った飛行機は、砂利を引いた滑走路に着陸しました。機内から出ると、そこはケニヤのマサイマラです。私たちはマサイ族の世界に降り立ちました。サミーと名乗るマサイ族の男性が私たちを迎えに来ていました。彼は私たちの荷物をジープに積み込むと、この二日間を過ごすキャンプ場に向かいました。

教会に神の存在を

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書40-42
◆ ヘブル4
聖書のみことば コロサイ1:9-14

 
主にかなった歩みをして、―コロサイ1:10

色々な教会が入り口にスローガンを掲げていますが、私はそれを見るのが好きです。つい最近、「どうぞ、お入りください。そして、神がおられることを感じてください!」というスローガンを見かけ、その言葉に注意を引かれました。なぜならば、これは教会が人々に提示している大切な約束ですが、守るのが難しい約束でもあるからです。気をつけていなければ、教会は神のご臨在を感じさせる場所ではなく、私たちの存在ばかりがクローズアップされる場所になってしまうからです。

ありふれた日曜日

1年で聖書を!
◆ 箴言13-15
◆ Ⅱコリント5
聖書のみことば 使徒2:41-47

 
彼らは使徒たちの教えを堅く守り、―使徒2:42

日曜日、よい天気だったので、教会から帰ってから散歩をしました。庭の芝を刈っていた男性を見かけたので、「こんにちは、ご機嫌いかが?」と挨拶をしました。すると彼は「ありふれた日曜日さ」と、つまらなさそうに言いました。なぜ、あんなふうに言ったのでしょう。型どおりの家庭サービスをこなしているという意味だったのでしょうか。