落ち穂拾い
私たち親子はブラウニー(チョコレート味の焼き菓子)が大好きで、料理の傑作のひとつだと思っています。ある日、ボールで材料を混ぜて、それを焼型に注ぎましたが、娘が少しだけ残してくれないかと言いました。彼女はちょっとだけなめたかったのです。私は笑って賛成し、「それは『落ち穂拾い』というのよ。ブラウニーから始まったわけではないけれどね…」と言いました。
戸棚の食べ物
友人のマルシアは、ジャマイカ・クリスチャン聾学校の校長です。最近、重要な見解を示してくれました。「祝福されたスタート」と表題のついたニュースレターには、過去7年間ではじめて、昨年度の繰り越しがあったと書かれていました。この繰り越しとは何だと思いますか。銀行口座に一千ドルの残高があったのでしょうか。いいえ、違います。学校の事務用品が余ったのでしょうか。それも、違います。繰り越したのは、戸棚に残った一カ月分の食糧でした。
良いものと悪いもの
私たちを練り、より良いものに変えるために、神は私たちに試練と祝福の両方を与えられます。反抗的な預言者ヨナの物語は、そのことを教えてくれます。ヨナ書を読むと、神は5つの状況をヨナに与えられたことがわかります。それは良いものも悪いものもありました。
神の備えとその方法
窓の外では、リスたちが冬に備えてドングリを安全な場所に隠そうと慌しく駆け回っています。その騒々しさに思わず笑みがこぼれます。鹿の群れが我が家の裏庭を横切ってもしんとしているのに、一匹のリスの立てる騒音は、まるで侵略者がやって来たようです。
さらに悪い方へ
◆ 雅歌4-5
◆ ガラテヤ3
この前もそうでした。書斎を片付けようと急に思い立って、私は動き出しました。すぐに思い直せばよかったのですが、そうしなかったので、部屋は以前にも増してひどいことになりました。本や新聞、そして雑誌の選別をしていくうちに、ひとつの山がいくつもの山になっていきます。部屋がどんどん散らかっていくにつれ、私は片づけを始めたことを後悔しました。けれども、今さら、後戻りはできません。
恵みとあわれみと平安
◆ 詩篇26-28
◆ 使徒22
主をほめたたえよ。……(主は)あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、―詩篇103:1,4
恵みと平安ということばが、新約聖書のパウロのどの書簡にも、諸教会への挨拶のことばとして記されています。そしてテモテへの手紙には、「父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように」(Ⅱテモ1:2)と、あわれみということばが加わっています。これらのことばをひとつひとつ、吟味してみましょう。