Category  |  神の恵み

失敗が美に 変えられる

ジャズ・ピアニストのハービー・ハンコックは駆け出しの頃、音楽界のレジェンドと呼ばれていたマイルス・デイビスのクインテットに加わり、緊張した日々を送っていました。デイビスに育てられるというのは、素晴らしい経験だったと言います。

知るべきこと

フェルナンド・オルテガのオリジナルソング「あるがまま我を」の間奏には、ビリー・グラハム博士の声が収録されています。その中でグラハム博士は、生死をさまよったときのことを振り返ります。自らの過去を思いめぐらし、自分がどれほどひどい罪人であり、どれほど神の赦しを日々必要としていたかを悟りました。

グレイスランド

テネシー州、メンフィスにあるグレイスランドは、アメリカで最も訪問客の多い邸宅だそうです。1930年に建てられ、所有者の大叔母グレイスの名に因んで、そう呼ばれました。その後、エルヴィス・プレスリーが住み、彼の家として有名になりました。

容赦なし

我が家の車のあだ名は、「せっかち君」です。日曜の朝は、ことさら気ぜわしくなります。教会で必要なものをすべて車に積み込んで、助手席に乗り込みます。そしてドアを閉めるやいなや、夫のジェイが車庫から車を出すのですが、私がまだごそごそしているうちに、シートベルトの警告音が鳴り始めます。「お願いだから、ちょっとだけ待って」と言っても、答えはもちろん「ノー」です。シートベルトを装着するまで、警告音は容赦なく鳴りつづけます。

雪のように白く

息子を車で学校に迎えに行って帰る途中、雪が降り出しました。白く綿花のようにふわふわした雪が、どんどん落ちてきます。車の流れは悪くなり、結局、渋滞になって身動きがとれなくなりました。車の中から見ていると、景色が変わっていきます。建物の尖った輪郭は、少しずつ丸みを帯びていき、黒い土の表面や沿道の木々、周りの車は雪化粧をしていきました。

身に余る

調子はどうですかと聞かれたので、「身に余るほど良くしてもらっている」と答えたところ、ある親切な人が「身に余るなんて、そんなことはないよ」と言ってくれました。それで私は、その真意を伝えました。自分の身の丈に合ったものを受ける、というのならば、私が受けるべきものは当然、神のさばきだからです。

同類

ずいぶん昔になりますが、レイ・ステッドマン牧師は主日の礼拝メッセージで、コリント人への手紙第一6章9節から11節を読みました。「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした」(Ⅰコリ6:9-11)。次に、何ともいえない複雑な表情で、「参考のためにお聞きしますが、この中でどのくらいの人が、ここに書かれている罪を犯したことがありますか。身に覚えのある人は立ってください」と言いました。

迷い出る

私の大好きな聖歌のひとつは、1757年に22歳のロバート・ロビンソンが書いた「いのちのいずみに」です。この聖歌には、「神より離れて迷いし我を…」という一節があります。私はこの歌詞を聞くたびに、はっとして自分の霊性を振り返ります。時にはつまらないことに気を取られて、本筋から逸れていると感じることがあります。本筋とは、私を愛してご自身をささげてくださった救い主に、心も思いもしっかりと集中することです。これは、私やロバート・ロビンソンだけの問題ではないでしょう。

きまりが悪い時

パトカーの回転灯が回っていたので、交通違反の車が道路わきに止められていることに気づきました。違反キップの綴りを手に警察官がパトカーに戻っていったとき、その車の運転席で、きまり悪そうに途方に暮れているドライバーが見えました。彼女は知り合いに気づかれるのを恐れてか、顔を手で覆っていました。それを見て、自らの過ちとその報いを人目にさらされるのは、実にきまり悪いものだと改めて気づきました。