Category  |  賛美/礼拝

ライオンでもある小羊

1年で聖書を!
◆ 詩篇61-63
聖書のみことば 黙示録5:1-12
 
イエスの御名によって、……すべてが、ひざをかがめ、すべての口が「イエス・キリストは主である」と告白して、―ピリピ2:10-11

ユダ族から出た獅子(黙5:5)、ほふられた小羊(6節)と、使徒ヨハネはヨハネの黙示録5章でイエスを描写しました。この描写についてチャールズ・スポルジョンは、「なぜ、私たちの高貴な主が栄光の中に傷ついた姿で現れなければならないのだろう」と自問しました。その答えは「イエスの傷がイエスの栄光なのだ」でした。

教会の美しさ

1年で聖書を!
◆ 士師記16-18
聖書のみことば 出エジプト記36:1-7
 
あなたがたのうちの心に知恵のある者は、みな来て、主が命じられたものをすべて造らなければならない。―出エジプト記35:10

私たち夫婦が自宅を新築しようとしたとき、大工仕事を趣味とする親戚や友人に頼むのではなく、プロの建築業者を雇って機能的で美しい家を建ててもらおうとしました。しかし最近の教会堂の建設についていうなら、美しさの優先順位は必ずしも高いとは言えません。美しさを非実用性と関連づける人もいて、そのような人は、装飾は無駄だといいます。

髪を下ろす

1年で聖書を!
◆ 申命記29-31
聖書のみことば ヨハネ12:1-8
 
マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。―ヨハネ12:3

イエスが十字架にかかる少し前、マリヤという女性は、イエスの足に高価な香油を注ぎました。そして、さらに大胆なことに、彼女は自分の髪でイエスの足を拭いたのです(ヨハ12:3)。マリヤは一生かかって蓄えたかもしれないものをささげただけではなく、自分の評判すら犠牲にしました。

音楽に感謝

1年で聖書を!
◆ 出エジプト記21-24
聖書のみことばⅡ歴代誌5:7-14
 
ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように……主を賛美し……主の栄光が神の宮に満ちた
―Ⅱ歴代誌5:13-14

音楽は聖書の中で大きな位置を占めています。神のために働くようにと、創世記からヨハネの黙示録までの音楽家たちは、神に召されています。神は音楽を用いて、賛美することを教えたり、人々を戦いに送ったり、傷ついた心を慰めたりされました。また、信仰の情熱に火をつけたり、勝利を祝ったりもされました。

それでも私は喜ぶ

1年で聖書を!
◆ ゼカリヤ書9-12
◆ 黙示録20
聖書のみことば ハバクク書3:11-19
 
しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
―ハバクク書3:18

この世の人生は楽ではありません。ふと「神はどこにいるのだろう」と思ったことはないでしょうか。不正義が行われているのに神は黙っておられる、と思ったこともあるかもしれません。私たちは、困難に対する応答の仕方を選ぶことができます。預言者ハバククの態度を模範にしましょう。彼は、「喜ぶ」という選択をしたのです。

満たされて待つ

1年で聖書を!
◆ ゼカリヤ書1-4
◆ 黙示録18
聖書のみことば Ⅱコリント4:7-18
 
私たちは勇気を失いません。―Ⅱコリント4:16

ロジャーはリストラで職を失い、何ヶ月も求職しました。彼は祈り、友人にも祈ってほしいと頼み、神を信頼しました。しかし、彼と妻のジェリーの心は揺れていました。その時どきの必要が思いもよらない方法で満たされることもあって、神のあわれみを体験しましたが、再就職は無理ではないかと不安になることもありました。彼らは15ヶ月間、待ち続けました。

間違った礼拝

1年で聖書を!
◆ ハガイ書1-2
◆ 黙示録17
聖書のみことば 使徒19:23-41
 
私たちのこの仕事も信用を失う危険がある―使徒19:27

人を動揺させたいなら、経済を揺さぶれば良いのです。経済状況が悪くなれば、政治家は議席を失います。経営悪化の脅威によって、使徒パウロはエペソから追い出されそうになりました。

今がその時

1年で聖書を!
◆ ゼパニヤ書1-3
◆ 黙示録16
聖書のみことば ルカ2:8-20
 
いと高き所に、栄光が、神にあるように。―ルカ2:14

教会のクリスマス礼拝で、聖歌隊のメンバーが会堂の前に進み出たとき、指揮者は黒い譜面台の楽譜をめくっていました。まもなく前奏が始まりましたが、最初の曲は「さあ、今がそのとき。礼拝しよう」という歌詞で始まる普段の賛美でした。

広大な滝

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書37-39
◆ ヘブル3
聖書のみことば 黙示録1:9-17
 
その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。―黙示録1:15

ブラジルに行ったとき、世界三大瀑布(ばくふ)のひとつ、イグアスの大瀑布の見学に行きました。それは息を飲むほどの絶景でしたが、一番心に残ったのは、滝の景観でもものすごい水しぶきでもありません。それは音です。その大音響は「耳をつんざく」という表現を超えていました。まるで自分が音の中にすっぽり入ったかのようで、自分がいかに小さな存在か、それを思い知らされる圧倒的な体験でした。