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より深い思いやり

1年で聖書を!
◆ 民数記4-6
◆ マルコ4:1-20
聖書のみことば イザヤ書49:13-18

 
女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
―イザヤ書49:15

妻と初めて出会ったのは、大学生のときでした。当時、私は牧師になるための勉強をしていて、彼女は小学校の教師になる勉強をしていました。子どもたちと一緒にいる彼女を最初に見たとき、その光景がすごく似合っていると思いました。彼女は子どもが大好きでした。彼女の子ども好きは、結婚して自分たちに子どもができたとき、もっとはっきりしました。我が子に接する妻の様子を見ていると、無条件に愛することや無条件に受け入れることを教えられます。母親の赤ん坊に対する情愛と比べられるものは、この世にはひとつもないと思わされました。

観客は誰?

1年で聖書を!
◆ レビ記26-27
◆ マルコ2
聖書のみことば 詩篇50:7-15

 
感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。― 詩篇50:23

教会の礼拝をエンターテイメントの時間であるかのように感じているときがありました。セーレン・キェルケゴールは、私たちのような人々について、教会を一種の劇場だと考える傾向にあると述べています。私たちは観客の中にいて、熱心に舞台の上の役者を見物しています。十分に楽しませてもらったら、拍手や歓声で感謝の気持ちを表します。しかしながら教会は、劇場とは正反対のものであるべきです。「神」が観客です。神は、私たちの礼拝をご覧になっています。

変わる

1年で聖書を!
◆ レビ記21-22
◆ マタイ28
聖書のみことば マタイ3:1-12

 
悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。……それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。―マタイ3:2,8

いくつかの研究によると、心臓のバイパス手術を受けた患者でさえ、「生活習慣を変えないと死にますよ」と告知されても、約90%の人はそのままの生活を続けるそうです。大抵の場合は、手術をしてから2年たっても生活習慣は変わっていないそうです。まるで、変化よりは死を選ぶ、と言っているかのようです。

埋もれた宝

1年で聖書を!
◆ レビ記19-20
◆ マタイ27:51-66
聖書のみことば レビ記19:9-15

 
私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。―詩篇119:18

子どものころ、無法者ジェシー・ジェイムズ(1847-1882)と同じミズーリ州の田舎で育ったので、彼が近くに宝物を埋めたに違いないと信じていました。友だちと宝の発見を夢見て、林の中を歩き回ったものです。そこで、大きな斧で薪を割っている年配の男性によく出くわしました。私たちは、この不思議なおじいさんが、高速道路の脇を歩いて空き缶を探しているのを何年もの間見ていました。空き缶は彼の宝でした。空き缶を換金すると、安酒を買って、屋根もなく壁も塗られていないぼろぼろの小屋に戻って行くのです。しかし家族によるならば、彼の死後、その小屋には多額の現金が残されていたそうです。

きよさと熱

1年で聖書を!
◆ レビ記17-18
◆ マタイ27:27-50
聖書のみことば イザヤ書43:1-13

 
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、―イザヤ書43:2

どうして私の髪はこんなに乾きにくいのだろうと思いました。私は相変わらず急いでいたのですが、濡れた髪で冬空の下に出て行きたくはありません。ふと見ると、ドライヤーの設定が「高温」ではなく「中温」です。そういえば、姪のために私が変えていたのです。

「友だち」になる

1年で聖書を!
◆ レビ記15-16
◆ マタイ27:1-26
聖書のみことば ヨハネ15:9-17

 
わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。
―ヨハネ15:14

フェイスブック・ドットコムは、2004年に始まった大学生同士のつながりを目的としたウェブサイトです。今ではすべての年代が利用でき、ユーザーの数は現在のところ、4億人にのぼるとされています。各ユーザーは各々自分のページを持ち、そこに「友だち」が見ることのできる写真や個人情報を公開しています。誰かを「友だち」にするとは、自分が誰で、どこに行き、何をするかという情報を相互に流させることです。フェイスブック内の人間関係は、軽くても深くてもかまいませんが、まず「友だち」になりましょうと「招待」されなくてはなりません。

神をほめたたえよ

1年で聖書を!
◆ レビ記14
◆ マタイ26:51-75

 
わたしこそ神であることを知れ。わたしは……あがめられ、
―詩篇46:10

詩篇46篇10節の「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」(口語訳)は、遠い昔、エルサレムの宮で賛美された歌です。このみことばは、私たちが第一にすべきこと、つまり、すばらしい神を礼拝することを思い出させてくれます。

伝えなくてはだめ?

1年で聖書を!
◆ レビ記11-12
◆ マタイ26:1-25
聖書のみことば Ⅱコリント5:12-21

 
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
―Ⅱコリント5:17

ジムはケアリに福音を語りました。彼女が罪のために聖なる神から離れていること、そして、彼女を救うためにイエスが死んで、よみがえられたことを伝えました。しかし、彼女はあることが心にひっかかり、信じることができません。「イエスを心に受け入れたら、そのことを他の人に伝えなくてはだめですか。そんなことはしたくないのです。」そんなことは自分の性格に合わないから、他の人にイエスを伝えなければならないというのは嫌だと言いました。

神の軍隊

1年で聖書を!
◆ レビ記1-3
◆ マタイ24:1-28
聖書のみことば Ⅱ列王記6:8-17

 
まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。―詩篇91:11

孫のジュリアが幼かったとき、私たち夫婦は彼女を連れてアイダホの山中をドライブしました。後日、彼女はおばあちゃんと「冒険」について話し合いました。おばあちゃんが「私は心配しませんよ。だって、おじいちゃんには守護天使がついて守ってくれると思っていますからね」と言うと、ジュリアは「おじいちゃんにはきっと守護天使の一群がついていると思うわ」と答えました。