最初の一歩を
ディオグネトゥスは、2世紀の人物で、キリスト者がローマの迫害下で「日ごとにますます増えていく」と気付きました。彼は異教徒だったので「なぜこうなのか」と尋ねました。それに対するキリスト教会指導者の返答が、「ディオグネトゥスへの手紙」と呼ばれる歴史文書です。「罰する人を増やせば増やすほどに、まだ罰していない残りの人の数が増えているのが分かりませんか。これは人間の業ではなさそうです。神の力なのです」
神の思いやり
神は本当にこんなに大勢の心配ができるのかしら。初めての海外。駅の雑踏の中で、そんな疑問がふと頭をよぎりました。10代の私は、世界の大きさに圧倒されていました。自分がちっぽけに感じられ、こんなに多くの人々を神は本当に愛せるのだろうかと思いました。
命を救う
フランスの反ナチ運動のメンバー、アドルフォ・カミンスキーは、身分証明書を改ざんし、多くの人を収容所行きから救いました。ユダヤ人の子ども300人のために急きょ、出生証明書、洗礼証明書、配給カードの偽造が必要になった時は、自分が1時間眠れば30人が死ぬと言い聞かせながら不眠不休で働きました。
善をもって悪に打ち勝つ
主人公が動物と会話するドリトル先生の物語は、小説や映画、演劇を通して多くの人に愛されてきました。しかし、これが書かれた経緯はあまり知られていません。原作者のヒュー・ロフティングは、第一次世界大戦に従軍中、自分の子どもたちに送った手紙に、この物語を記しました。彼は後年、戦場のありさまは手紙に記すにはひどすぎたと語りました。この楽しい物語は、戦争の残忍さに抗うロフティングの創造的なアプローチでした。
イエスを恥じない
あるアフリカ人がイエスを信じた故に殺されました。名前は分かっていませんが、殉教前に手記を残しました。20世紀前半に書かれ、今では「恥じない者たちの交わり」と呼ばれています。
仕事をやり遂げる
ジニー・ヒスロップは2024年、修士号を取得しました。授与式では会場の人が総立ちで拍手喝采しました。なぜなら、教科の履修を終えてから84年経っていたからです。1941年、ジニーは修士論文を提出する段階にいました。しかし、恋人ジョージが第二次世界大戦に召集されたため二人はすぐに結婚。彼女は学位取得を後回しにして夫のいる基地の町に向かいました。そして長い年月の後、初志を貫徹したのです。
神のなされた業
モールスは牧師の息子で旅回りの風景画家でした。植民地時代のアメリカで細々と暮らしていました。しかし、神は彼を異業種に導かれました。モールスは科学にも興味があり、電磁石というものを知りました。彼は1832年、電信というアイデアを思いつきました。そして後年、実用的な電報システムを開発し、世界を変えたのです。
美しく回復
高名な芸術家マコト・フジムラは、著書『アート+信仰 創作の神学』で金継ぎについて記しています。金継ぎは、割れた陶器(元々は茶碗)の破片を元の器に漆で張り付け、ひび割れに金を入れ込む技術です。フジムラ氏は、それは「壊れた器を単に『修繕』するのではなく、元々の器よりも美しくする技術だ」と語っています。昔、武将のお気に入りの茶碗が壊れ、それを美しく修復したことに端を発し、それが高く評価され、求められる芸術になったそうです。
預言者のメッセージ
スポーツ記者ヒュー・フラートンには鋭い分析力がありました。1906年の野球のワールドシリーズで、前評判の高いシカゴカブズは、第1試合と第3試合に負け、第2試合には勝ち、第4試合には雨が降ると予想し、その通りになりました。1919年のワールドシリーズでは八百長試合を疑いました。世間は笑いましたが、またも正解でした。