Tag  |  イエス

その御名は

孫のマギーはミシガン州のグランド・ラピッズで私たちと過ごしました。そしてミズーリ州の家に戻ったのですが、その後の数日間、家の中を歩き回って、「ミシガン、ミシガン」と嬉しそうに叫んでいたそうです。

恐れ知らずのチャンピオン

子どものとき、眠ることは大変な仕事でした。親が部屋の灯りを消して出ていった途端、イスの上にしわくちゃのまま脱ぎ捨てた洋服は、口から火を吹く竜の形になります。ベッドの下にも何かがいるような気がしてドキドキしました。そんなこんなで、怖くて眠れなかったのです。

真似る

ラジオの宣伝が、腕時計のベルトを鮮やかな色にして、別の色の服とコーディネートするように勧め、「そんなあなたの大胆な色使いを、みんなは真似したくなるでしょう」と続けました。私たちはなぜか、他人が自分の真似をしてくれると何となく嬉しいと感じます。

光の賜物

クリストファー・レン卿は1,600年代後半、ロンドンで50以上もの教会を設計し建築しました。彼の建築物にはふたつの大きな特徴があります。ひとつは頑丈な高い尖塔で、もうひとつは無色透明の窓ガラスです。これには深い意味がありました。当時は、教会の窓といえばステンドグラスでしたが、彼は、教会の窓は無色透明のガラスであるべきだと考えていました。その理由のひとつだったと思われる言葉が残っていますが、それは「神が与えた最大なる賜物は光である」というものです。クリストファー・レンにとって、降り注ぐ日の光を浴びながら神に礼拝をささげるということが、太陽という神の贈り物を喜び感謝することだったのです。

常にアップグレード

家を出て仕事に向かおうとすると、「そんな格好で行かないで!」と妻のマーティに呼び止められることがあります。そして大抵の場合、ネクタイの色がもうひとつだとか、ジャケットとズボンが合っていないなどと言われます。自分の服装に疑問を呈されると、ファッションセンスに文句をつけられているようで良い気分はしませんが、妻の助言は正解だということはもう分かっています。それは、私をアップグレードさせてくれるのです。

主われを愛す

我が家の老犬は、寒い日には庭を歩き回って陽のあたる場所を見つけます。そして、草の上に足を伸ばして寝そべり、日向ぼっこをします。

飛行 シミュレータ

飛行機のパイロットは、飛行シミュレータで膨大な時間をかけて訓練をします。飛行シミュレータは訓練生に、飛行機を操縦する際に起こるかもしれない問題や危険を擬似体験させてくれます。訓練生は、地上から飛び立つことはありません。たとえ墜落したとしてもかすり傷ひとつなく、その場を立ち去ることができます。

まことの犠牲

エリックは善良で正しい人でした。警察官という職務は地域社会に対する奉仕だと考え、すべてをささげて忠実に任務に励みました。それが彼の信念だったということは、自分のロッカーのドアにヨハネの福音書15章13節のみことばを貼っていたことでも分かります。

主イエスはここで、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」とおっしゃっています。エリックにとって、これは絵に描いた餅のような理想ではありませんでした。これはまさに、彼の警察官としての責任感を表わしていました。そして、その強い責任感は、彼に殉職という究極の犠牲を支払わせました。自己犠牲の精神を身をもって示してくれたのです。

イエス・キリストは、ヨハネの福音書15章13節の鮮烈なみことばを語られてから数時間のうちに、ご自分のみことばを実行に移され、全うされました。二階の広間でこのみことばを語られたあと、イエスは、ゲツセマネで父なる神とひとつになって交わりを持たれました。そして捕らえられ、数々の非合法的な裁判を経て、あざけり笑う民衆の面前で十字架にはりつけになりました。

イエスは神の御子ですから、苦痛や拷問、残忍な仕打ちを逃れようと思えばそれができたでしょう。イエスは全くの無実でしたから、死刑になる筋合いなどありませんでした。しかし、真の犠牲のささげものであるイエスは、その原動力である愛にかき立てられるように、十字架に向かわれました。そのおかげで私たちは、イエスの犠牲とよみがえりを信じて受け入れさえすれば、自分の罪を赦していただけるようになったのです。

さあ、あなたのために死を選ばれた方を、あなたは信じますか。

価値あるもの

今までの人生で集めたものや、捨てずにとっておいたものがたくさんあります。その中には、以前は大切だったけれど、今では当時の輝きが失せた物も多くあります。それなのに私は性懲りもなく新しいものを見つけ、自分のコレクションを増やしていくことにワクワクしてしまいます。

私たちは、これも大事、あれも大事と色々なものをため込んでしまいます。ところが、本当に価値のあるものはごくわずかです。事実、人生で最も価値あるものは、物ではないでしょう。私は年とともに、そのことが分かってきました。人生で何よりの宝は、私を愛し、私の人生に関わってくれた人たちです。「あの人がいなかったら大変だ」と心の中で言える人たちこそが、何よりも大切な存在なのです。

ペテロはイエスが「選ばれた石、尊い礎石」だと語りましたが(Ⅰペテ2:6)、そのことばに、私たちの心も共鳴すべきです。イエスこそが本当に価値あるものです。何物にも、何人にもまして大切なお方なのです。もしイエスがいつも一緒にいてくださらなかったなら、私たちは大変なことになっていたでしょう。イエスの賢明なアドバイス、絶対的な導き、慈愛のこもった忍耐、変革を促す叱責がなかったなら、私たちはどうなっているでしょう。イエスなしで、どうやって生きていけるでしょうか。そんなことは、想像すらできません。