永続する平和
第一次世界大戦中、1914年のクリスマスイヴのことです。約50キロにわたる西部戦線で銃声がやみました。塹壕(ざんごう)の上から覗き見ると、自分の陣地を修繕したり、死者を埋葬しようと、姿を現した兵士たちがいました。夜の闇が落ちると、ドイツ軍の中には、ランプを灯してクリスマスの賛美歌を歌う連隊が表れました。すると、敵である英国の兵士たちは拍手し、大きな声でクリスマスの挨拶をしました。
クリスマス の氾濫
私はクリスマスが大好きです。キリストの誕生をお祝いしたり、この季節独特の雰囲気を楽しんだり。私にとってクリスマスは、一年で最も素晴らしい季節でした。ところが、近年は苛立ちを感じることが出てきました。その理由は、毎年、クリスマスに関するあれこれがどんどん早く始まり、秋が来るやいなや、というところまでにじり寄っていることです。
取消されたクリスマス
去年は、クリスマスがキャンセルされたようでした。私たちは、ミズーリ州の実家に帰るはずでしたが、降雪で乗り継ぎの飛行機が欠航になりました。ここ何年も、親族がそろってクリスマスを祝うことが慣例でしたから、ミネソタ州まで飛びながら、ミシガン州の家に逆戻りしなければいけなかったときは、本当にがっかりしました。
神からのメッセージ
レイ・トムリンソンは1971年、人がコンピュータを介して対話する方法をいくつか試していました。彼はネットワークを通して、自分のコンピュータから別のコンピュータにメッセージを送ったのですが、これが世界で最初のEメールです。数十年経た現在、毎日10億通以上のEメールが送信されています。
恵みのとき
イギリスのケンブリッジにあるキングスカレッジの礼拝堂で行われるクリスマス・イブ礼拝は、BBCラジオで生中継されますが、私は毎年それを聴くことを楽しみにしています。「9つの朗読とキャロルの祭典」と呼ばれるこの礼拝は、聖書朗読、祈り、そして賛美から成る非常に感動的な礼拝です。ある年、壮大な礼拝堂を出ていく会衆の姿を表現したアナウンサーの言葉にはっとさせられました。
天は宣する
夜の空を少し眺めるだけで、神の御手の業はすごいのだと十分に分かります。私たちは、神の御業に感嘆し、畏敬の念を抱きます。私たちは、広大に広がる銀河や天の川の銀の帯を見るにつけ、神がこれを創造し、治めておられること、そして、万物が御子イエスによって成り立っていること(コロ1:16-17)を思わずにはいられません。それはまるで、神の創造を見せる劇場の最前列で、その迫力を感じるような体験です。
贈り物
クリスマスはプレゼントを贈るときです。私たちの多くは、友人や家族が喜ぶ贈り物を見つけようと一生懸命探しますが、すべての人に平等な贈り物をするわけではありません。例えば、健康グッズやダイエット本のように、贈り主の暗示が込められたものがあります。また、自分が欲しいと思っているものをプレゼントする場合もあります。しかし、一番嬉しいプレゼントは、自分が何を欲しいかを知っている人が贈ってくれたものです。
愛しているので
昨年のクリスマスには、スキーパンツやブレスレット、キンドル(電子書籍を読む機器)など、素敵な品物をもらいました。しかし、一番嬉しかったのは、たくさんの人に会えたことでした。遠方から甥や姪が訪ねてきてくれ、彼らの9人の子どもたちと遊びました。クリスマス・イブ礼拝には、姪夫婦と1歳半の娘と一緒に行きました。また、定年退職した元同僚の奥さんが身体を壊しているので、彼女を見舞いに行きました。
希望が必要
アダムとエバに希望は必要ありませんでした。満たされていないものは何もなかったからです。また、神がすべての良いものを与えてくださっている環境の中で、その快適な生活がずっと続くと考えるのも、至極当然でした。しかし、神はあるものを独り占めしていると蛇に吹き込まれ、それを欲しがったために、すべてのものを失う危機が訪れました。