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見かけ倒し

ある日、娘が車にあった私の新しいサングラスをかけて、「お母さん、これはサングラスではなく、ただのファッション・グラスね」と言いました。そして、「似合うから買っちゃったんでしょう」とからかいました。そのとおり。娘は私のことをよく知っています。私は、UVカットがどうだとか、日よけになるか否かなど、まったく考えずに買いました。格好良くて似合うので気に入ったのです。

悪かった

義理の息子とスポーツ観戦に行ったとき、試合だけではなく人間ウォッチングもすることになりました。人間の良い面と悪い面の両方を見せてくれた人がいたからです。その人はスタジアムで迷子になって、自分の席に帰れなくなっていました。それで立って辺りを見回していたのですが、それが私たちの視界をさえぎるような場所でした。座っていた人は試合が見えないので、「どいてくれないか。見えないじゃないか」と言いました。するとその迷子の男性は、「そりゃ気の毒だな」と皮肉たっぷりに答えたのです。そして、もう一度言われると、今度は怒気を含んだ声で同じ言葉を繰り返しました。しばらくすると、その男性はようやくあっちに行きましたが、驚いたことにすぐに戻ってきて、見えないと文句を言った男性に、「さっきは悪かったな。実は席が見つからなくてイライラしていたんだ」と言ったのです。ふたりは握手をして、この件は友好的に片付きました。

彼らのやり取りを見て、私は考えさせられました。日々の生活の中で、自分の思うとおりにならなくてイライラし、キリスト者として恥ずかしい言動をしたことがあるかもしれません。もしそうならば、私たちは失礼をした相手に謝る勇気をくださいと、神に願わなければなりません。イエスによると、そうするか否かで、私たちの礼拝が受け入れられるかどうかが決まるのです(マタ5:23-24)。

和解を優先事項にしているなら、私たちは、神に栄誉を帰しています。天の父との交わりを十分に楽しむことができるのは、和解した後のことです。

互いを磨き合う

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書9-12
聖書のみことば Ⅰ列王記19:19-21
 
鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。―箴言27:17

インターネットのソーシャルネットワークが盛んになっています。たとえ遠くに離れていても、オンラインで同世代の人たちの意見を聞いたり、自分の考えを聞いてもらったりすることができます。Eメール、ブログ、ツイッター、そしてウェブリンクは、信仰に関するアドバイスを得たり与えたりする新たなツールになっています。

主の家に植えられる

1年で聖書を!
◆ 伝道者の書10-12
聖書のみことば 詩篇92
 
彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。―詩篇92:14

作家のドン・ゴールドは、老いを生きる多くの人々にインタビューをして「歌の終わるまで:アメリカにおける老いと人生の賛歌」という本を出版しました。

祈りに囲まれる

1年で聖書を!
◆ 伝道者の書4-6
聖書のみことば ローマ15:22-33
 
兄弟たち。……お願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。―ローマ15:30

友人メリッサの娘で9歳のシドニーは、骨髄移植と化学療法を受けるために入院しています。そんな彼女の夢を見ました。彼女は両親と一緒に病院の真ん中の部屋にいました。彼女の部屋はいくつもの部屋に取り囲まれており、その部屋には一家の親戚や友人たちが泊っていて、彼女の治療のために絶えず祈りをささげていました。

家庭を開放する

1年で聖書を!
◆ 箴言12-14
聖書のみことば 使徒18:1-4
 
自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。―使徒18:3

マックス・ルケードは著書「長生きするには」の中で次のように書いています。「ホスピタリティー(もてなし)は、素晴らしい交流の扉を開く。ホスピタリティーとホスピタル(病院)の語源が同じラテン語なのは偶然ではない。どちらも同じ結果、つまり癒しに至るからだ。

くっつき合う

1年で聖書を!
◆ Ⅰ歴代誌1-3
聖書のみことば エペソ4:1-16
 
からだ全体は、……しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。―エペソ4:16

フシアリは水よりも比重が大きいのに、洪水があっても溺れずに生きのびることができます。科学者たちは長年にわたって、その理由を調べてきました。このアリの群れは自分たちの身体で救命イカダを作り、何週間も水に浮いています。どうやって作るのでしょう。

一緒に聖餐にあずかる

1年で聖書を!
◆ イザヤ書17-19
◆ エペソ5:17-33
聖書のみことば Ⅰコリント11:23-26

 
あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。―Ⅰコリント11:26

アメリカの多くの教会は、10月の第1日曜日を世界聖餐主日として聖餐式を行います。これは、世界中の主にある兄弟姉妹とともに聖餐にあずかっていることを心に刻むときです。私にとって、この日を主にある兄弟姉妹とともに迎えることは、大変意味深いことです。

ありふれた日曜日

1年で聖書を!
◆ 箴言13-15
◆ Ⅱコリント5
聖書のみことば 使徒2:41-47

 
彼らは使徒たちの教えを堅く守り、―使徒2:42

日曜日、よい天気だったので、教会から帰ってから散歩をしました。庭の芝を刈っていた男性を見かけたので、「こんにちは、ご機嫌いかが?」と挨拶をしました。すると彼は「ありふれた日曜日さ」と、つまらなさそうに言いました。なぜ、あんなふうに言ったのでしょう。型どおりの家庭サービスをこなしているという意味だったのでしょうか。