語り伝えよ
映画制作者のジョージ・ルーカスは、どのように人々の記憶に残っていたいか、とワイアード誌のインタビューで尋ねられ、次のように語りました。「人々は私を映画制作者として覚えていてくれるでしょう。…願わくは、私が制作した映画のいくつかは、その時代においてもなお、今日的な意味を持っていて欲しいと思います。…子育てをしているときには、子どもに色々なことを教えなければなりません。さもなければ、子どもは苦い体験を通して思い知ることになります。ですから、『昔話(寓話)』を次の世代に受け入れられるような形に作り変えて、代々語り継がなくてはならないのです。私は『昔話(寓話)』以上のことはしていないと思います。それはこれからも語り続けられる必要があると思います。」
詩篇78篇の作者は、神の偉業が忘れられ、後の世代が何も知らなくなってしまう可能性に気づいていました。それで、神の救いの御業を飽くことなく子々孫々まで語り伝えようと、神の民に呼びかけました(4節)。その目的は単なる歴史の勉強ではありません。むしろ、自分たちの信仰に常にいのちを吹き込み、主なる神に対する従順と希望を持ち続けることです。不信仰に陥って神に背いた先祖たちの過ちを、後の世代が繰り返さないようにするためです(8節)。
私たちの人生に神の大きな力とあわれみが現れたのですから、私たちは忠実に神の物語を語り告げたいと願います。その結果として、次の世代の人たちが信仰を奮い立たせ、忠実に従うことができますように。
生ける証
ウォッチマン・ニーは1952年、キリストを信仰しているという理由で捕えられ、死ぬまで獄中にいました。1972年3月30日に亡くなったとき、姪がほんのわずかの持ち物を取りに行くと、看守がベッドの横で見つけたという紙の切れ端をくれました。そこには彼の生涯の信仰告白が書かれていました。
「キリストは罪人の贖いのために死に、三日後によみがえられた神の御子である。これは宇宙で最も偉大な真理だ。私はキリスト信仰のゆえに死ぬ。―ウォッチマン・ニー」
使徒パウロもキリスト信仰のために殉教したと伝えられています。死ぬ少し前に書いた手紙の中で次のように述べ、読者を励ましています。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。私は、福音のために、苦しみを受け…ています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。」(Ⅱテモ2:8-9)
歴史上、何百万、何千万というクリスチャンが殉教しました。私たちは、殉教者になるように召されてはいないかも知れませんが、イエスが自分のために何をしてくださったのかを実証するようには召されています。私たちは、神の恵みあふれる贈り物に感謝して、相手の反応はどうであれ、イエスが自分にしてくださったことを伝えていきましょう。
若僧
ダレル・ブリザードは高校を卒業すると、自分が育った養護施設を出てアメリカ陸軍の航空隊に入りました。当時は第二次世界大戦の最中だったので、彼は平時ならもっと年上で経験豊富な人が担う任務につきました。彼は後年、取材に答えて、戦闘機B-17のパイロットになる前に操作した最大のものは4頭のラバをつないだ鋤だったと話しました。