「友だち」になる
◆ レビ記15-16
◆ マタイ27:1-26
わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。
―ヨハネ15:14
フェイスブック・ドットコムは、2004年に始まった大学生同士のつながりを目的としたウェブサイトです。今ではすべての年代が利用でき、ユーザーの数は現在のところ、4億人にのぼるとされています。各ユーザーは各々自分のページを持ち、そこに「友だち」が見ることのできる写真や個人情報を公開しています。誰かを「友だち」にするとは、自分が誰で、どこに行き、何をするかという情報を相互に流させることです。フェイスブック内の人間関係は、軽くても深くてもかまいませんが、まず「友だち」になりましょうと「招待」されなくてはなりません。
それは「良い」ですか?
◆ 創世記33-35
◆ マタイ10:1-20
私はあなたの恵みに拠り頼みました。―詩篇13:5
ある状況を指して、それが良いのか悪いのか、本当にわかるでしょうか。例えば、家族旅行に出発しようとした日、車が故障してしまいました。修理工場に持って行くと、整備士が言いました。「出発する前で良かったですよ。出かけていたら、途中で火事になっていたかもしれません。」予定変更は面倒なので、これは「悪い」でしょうか。それとも、神の守りに感謝して「良い」としますか。
ブルドッグの目線で
◆ ミカ書6-7
◆ 黙示録13
わたし、主は……あなたを召し、……囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。―イザヤ書42:6-7
息子夫婦が飼っているブルドッグは、54キロのたくましい体で、恐ろしい顔をしています。名前は「バディ(相棒)」ですが、私をなかなか信用してくれません。私に近寄ろうともせず、遠く離れて、私の目を見ようともしません。しかしある日しゃがんでみると、下膨れのバディの顔がゆるむのに気づきました。バディは私を恐れなくてよいと分かったようです。嬉しそうに走って来ると、大きな前足を上げて私に飛びつき、筋肉の盛り上がった首を伸ばして、なでてくれとねだります。
あなたの手には何があるか
◆ エゼキエル書35-36
◆ Ⅱペテロ1
主は彼[モーセ]に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」―出エジプト記4:2
機会を逃したときにひどく落ち込んだり、将来のことを心配したりする傾向があるなら、自分にこう質問してください。「自分のすぐ前には何があるのだろう。」つまり、今、どのような状況や人間関係が与えられているのかを考えるのです。この質問は、過去を後悔したり、未来を恐れたりすることから意識をそらし、あなたの人生にとって、神がおできになることは何かという点に立ち帰らせてくれます。