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信頼するということ

下半身不随で18年間、車いすの生活を送っていた女性が、サーフィンに挑戦したというニュースがオーストラリアから入ってきました。彼女の名前はパスカル・ホノレ。けれども、どうやってするのでしょう。

危険と救助

グレース・ダーリンはイギリスの灯台守の娘です。1838年9月7日、彼女は沖合に難破船と遭難者を見つけました。そして勇敢にも父親といっしょに小舟を漕ぎ出し、荒波の中を2キロの沖合まで救援に向かいました。自分の命さえも省みず、他者を救おうとする深いあわれみと断固とした行動によって、グレースは伝説の人になりました。

険しい道

ジョン・パイパーは、著書「神の摂理は甘くて苦い」の中で次のように述べています。「人生は、ひとつの祝福から次の祝福へと続き、最終的に天国に至る、という一直線の道ではない。人生は曲がりくねった困難な道だ…困ったことが起こると神が現れて、尻拭いをしてくださる、ということではない。神は策を練って困った問題を管理し、神の遠大な目的のために、それを用いられる。神の目的は、私たちの徳を高め、イエス・キリストの栄光を表すことだ。」

見えない危険

子どもの頃のこと、私たちの家族は危うく大惨事を免れたことがあります。当時、暖炉をはじめ家の主な設備は、ほとんど天然ガスを使っていましたが、ガス管からわずかにガスが漏れていて、私たちの生命をおびやかしたのです。小さな家にガスが充満し、私たち家族はガス中毒になって気を失ってしまいました。近所の人がたまたま立ち寄って発見してくれなかったら、私たち家族は全員、この見えない危険な敵に殺されていたことでしょう。

キリストの弟子である私たちは、自分が見えない危険に囲まれていることを知っています。誘惑という毒のある現実と、人間であるがゆえの弱さは、私たち自身や私たちの人間関係を危うくします。しかしながら、我が家のガス中毒事件とは違って、これらの見えない敵は、外からのものではありません。それは、私たちのうちに宿っています。ヤコブは、「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです」と書いています(ヤコ1:14)。

私たちは罪を犯してしまう性質を持って生まれてきました。また、目には盲点があって自分の弱点が見えません。これらは合わさって、私たちを間違った選択にいざない、破滅させてしまうかもしれないのです。しかし唯一、神に従うなら、神は私たちの心の状態を聖書のみことばを通して示されます。そして、みことばを行う人となって、主なる神に喜んでいただける人生を送ることができます(23-25節)。

危険を伴う仕事

1年で聖書を!
◆ ホセア書1-4
◆ 黙示録1
聖書のみことば マタイ1:18-25
 
ヨセフは……主の使いに命じられたとおりにして、―マタイ1:24

ひとりの男性が、幼子イエスの世話をするマリヤの後ろにそっと立ち、ふたりを見守っています。あなたの家に届くクリスマスカードの何枚かには、そんな絵柄がついているでしょう。この人がヨセフです。ところがヨセフは、キリスト降誕の物語以外には、ほとんど聖書に登場しません。ですから、よく知らない人は、大して意味のない人物か、イエスがダビデの家系に生まれたことを示すだけの人だと思うかもしれません。

水先案内人の航海日誌

1年で聖書を!
◆ Ⅱ歴代誌1-3
◆ ヨハネ10:1-23
聖書のみことば 詩篇119:129-136

 
あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、― 詩篇119:133

大航海時代(15~16世紀)に帆船で大海原を冒険した人たちは、危険な沿岸で舵取りをすることもありました。水先案内人たちは様々な航法を用いましたが、そのひとつは航海日誌の利用です。航海日誌は前人未踏の危険な海域を航行した先人たちの記録です。船の船長は、この日誌に記されている出来事を読んで危険を回避し、難所を切り抜けていきました。