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悲しみを鞄に詰めて

激動の1960年代、アメリカで流行した音楽は、反戦と愛国心の入り混じった奇妙なものでした。戦争や貪欲、社会の不正義を激しく非難する音楽がある反面、国家への忠誠や伝統的な価値観を重視する歌もありました。しかし、リチャード・ファリーナとポーリン・バエズ・マーデンが作った「悲しみをわが手に」は、あらゆる意味で心の平和を求めることを歌っていた曲だといえます。サビの部分は次のように語りかけます。「ねえ。何とかして君の悲しみを鞄に詰めることができたなら、それをみんな僕にくれないかい。君はそれを失うんだ。僕は使い道を知っているよ。それをみんな僕にくれないかい。」

心の平安を本当にくれる人がいると良いのに、と誰もが思うでしょう。そんなあなたに良い知らせがあります。イザヤ書の、イスラエルに約束された救い主を預言しているみことばを読んでください。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。…彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(53:4-5)。平安をくださるお方がおられます。クリスチャンはイエス・キリストの死と復活によって、このみことばが実現したことを知っています。

私たちの罪も痛みも、イエスが負ってくださったので、私たちは赦され、神との間に平和が与えられました。あなたも今日、あなたの痛みをイエスに渡しませんか。

解決済み

私はサッカーを見るのが大好きで、イングランド・プレミアチームのリバプール(愛称は「レッズ」)のファンです。ですから、レッズの試合はハラハラ、ドキドキしながら見ています。ひとつのゴール、ひとつのミスプレーが勝敗を左右するので、観戦中は興奮しています。このスリルがたまらないのです。ところが先日、レッズの試合の録画を見ました。何と平安な心で、それを見られたことでしょう。すでに結果が分かっているのですから、リラックスして選手の動きを見て楽しむことができました。

人生は、スポーツの試合の生中継を見るようなものです。将来のことは分かりません。ショックなことや、思いがけないこと、いらいらしたり、不安に感じることがあります。なぜなら、私たちには結末が見えないからです。ところが、クリスチャンには慰めが与えられています。この世の人生で起こる多くの事柄の結末は分かっていませんが、永遠という最終的な結末は、イエス・キリストの御業によってすでに決まっているからです。

使徒ヨハネは「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです」と述べています(Ⅰヨハ5:13)。人生には思いがけないことが起こるかも知れませんが、私たちにはキリストの御業による平安があります。私たちの永遠という最終的な結末は、キリストによってすでに決まっています。

恐れに直面して

子どもの頃、寝室の灯りを消すのが嫌でした。椅子にかけた服がお化けのように見えて、とても怖かったことを覚えています。私は恐怖で眠れませんでした。この幼い日の経験から、人生に問題が起こったとき、恐怖は私の味方ではないと学びました。恐れは、前に踏み出す力を奪います。萎縮してしまい、すべきことができなくなります。イエス・キリストを見つめ続けていなければ、そうなってしまいます。

多くの問題

1年で聖書を!
◆ ダニエル書7-9
聖書のみことば ヨシュア記1:1-7

わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。―ヨシュア記1:5

アベリーはサッカーの試合が終わった後、リレイという名の少年にけんかをふっかけられました。先生が止めに入り、ふたりとも校長室に送られました。アベリーは、「当然のことながら、ふたりともひどく叱られた」と言いましたが、この事件から教えられたことは、どのような状況下にあっても、神は一緒にいてくださるということだったとも語りました。

単独飛行

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書31-33
聖書のみことば ヨハネ14:15-27
 
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。―Ⅰコリント3:16

チャールズ・リンドバーグは1927年5月20日から21日にかけて、大西洋単独無着陸飛行をしました。大西洋を飛行機で横断した人たちはそれまでにもいましたが、単独でこれを成し遂げた操縦士はひとりもいませんでした。これは、航空史上初の快挙でした。パリのル・ブルジェ空港に着陸するとリンドバーグは、拍手喝采する大勢の人に取り囲まれました。アメリカに帰国すると、祝賀パレードや勲章の授与といった栄誉を受け、孤独に耐え抜いた勇気と精神力がほめたたえられました。

リンドバーグの単独飛行は危険でしたが、この世の人生は、それ以上に危険だといえます。しかしクリスチャンは、人生の旅路を単独飛行する必要は決してないという事実に励まされ、慰められます。十字架につけられる前夜、主イエスは、決して私たちを見捨てることをせず、私たちに聖霊を与えてくださり、いつも共にいてくださると約束してくださいました(ヨハ14:16-17)。そして使徒パウロは、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」と語っています(Ⅰコリ3:16)。

聖霊は私たちの内に住んでおられ、主の平安と慰めを与えてくださいます(ヨハ14:26-27)。ですから、絶望と苦難に満ちた世界で、私たちは勇気を奮い起こします。「単独飛行」をすることは決してありません。何とありがたいことでしょう。

(Bill Crowder)

内に住まわれる御霊が、私たちが決してひとりでないことを保証してくれる。

眠らない神

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書24-26
聖書のみことば 詩篇121
 
主はあなたの足をよろけさせず、―詩篇121:3

飛行機を安全に航行させるという点で、最大の難関は着陸です。上空から地面に近づくにつれ、航路は飛行機で込み合ってきます。気象状況も3万フィートの上空に比べてはるかに悪い場合があり、滑走路は他の航空機に占領されて空いていないかもしれません。ですから、すべてのパイロットは詳細を調整する航空管制官に頼って、事故を起こさず着陸しようとします。

試練の時

1年で聖書を!
◆ 伝道者の書7-9
聖書のみことば ヨハネ16:25-33
 
あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。―ヨハネ16:33

マーフィーの法則というものを聞いたことがなくても、「失敗する可能性のあるものは、いずれ失敗する 」という経験をしたことはあるでしょう。

私にとどまりなさい

1年で聖書を!
◆ 伝道者の書1-3
聖書のみことば ヘブル13:1-8
 
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」―ヘブル13:5

英国サッカーにとって毎年恒例のハイライトは、FAカップ(FAはサッカー協会の略。世界最古のサッカー協会なので国名がつかない)の決勝戦です。この日は100年以上も前から、興奮、祝祭、そして戦いの日です。しかし、何よりも私を魅了するのは、試合の開始のときです。試合は伝統的な賛美歌39番「日暮れて四方は暗く 」を歌うことで始められるのです。

疑問を感じてもよい

1年で聖書を!
◆ 詩篇145-147
聖書のみことば ルカ7:18-28
 
あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、……貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。―ルカ7:22

恐れや疑いがふと起こるのは、しごく当然です。「もし、天国がなかったら」、「本当にイエスだけが神への道なのか」、「どう生きるかは、結局のところ、それほど重要なのだろうか」といった質問に対して、性急な答えや陳腐な回答はすべきではありません。