ただ信頼する
むかし、幼い息子たちを医者に連れていくのは、ちょっとした体験でした。待合室にはおもちゃがいっぱいあって、子どもが遊べるようになっていました。また子ども用の本もたくさんあって、読んでやることもできました。ですから、そこまでは大丈夫です。しかし、診察室に行こうと子どもを抱き上げた途端、事態は急変します。看護師が注射器を持って近づいてくると、それまでの楽しさは恐ろしさに変貌します。看護師がそばに来ると、子どもは私の首にぎゅっとしがみつきました。助けを求めてしがみつくのは、注射が自分のためになると知らなかったからです。
あなたの モットーは?
グラグ・クルードはアニメ映画に登場する原始人で、一家の主ですが、自分の洞穴以外に安全な場所はないと信じています。夜は安全のために、家族が身を寄せ合って眠ります。十代の娘の冒険心の芽は、危険なので摘み取らなければならないと思っています。彼のモットーは、「常に恐怖心を忘れるな」、すなわち、「いつも恐れていなさい」です。
恐れのある所に
結婚して12年が経っても私たち夫婦には子どもが与えられず、妻と私は、希望と失望を繰り返す激しい感情の波にもまれていました。友だちの中には、「君が良い父親になれないと、神は知っておられるのかもしれないよ」と、神の思い(?)を説明した人もいました。この友人は、私の母が非常に気性の荒い人だったのを知っていたからです。
極度の恐れ
子ども聖歌隊は何週間も練習をして、ついに恒例のクリスマスミュージカルの本番を迎えました。衣装を着た子どもたちが礼拝堂に入場してきました。そのときです。後方のドアのあたりで大声が聞こえました。私たち夫婦が振り向くと、恐怖で顔を引きつらせた息子のマットが叫んでいました。1983年のことです。まだ幼かった彼は、必死でドアの取っ手につかまり、怯えきった表情で泣いていました。彼はステージに上がりたくなかったのです。かなり説得しましたが、ダメでした。ついに日曜学校の教師は、ステージに上がらなくてもいいと言い、息子は私たちの隣に座りました。しばらくすると、彼の恐怖感は収まりました。
恐れ知らずのチャンピオン
子どものとき、眠ることは大変な仕事でした。親が部屋の灯りを消して出ていった途端、イスの上にしわくちゃのまま脱ぎ捨てた洋服は、口から火を吹く竜の形になります。ベッドの下にも何かがいるような気がしてドキドキしました。そんなこんなで、怖くて眠れなかったのです。
恐れを覚えるとき
長男が生まれたときは大変な難産で、30時間以上もかかりました。その日の医師は妻の担当医ではなく、代理の医師だったので、妊娠中の経過をよく知りませんでした。その結果、緊急帝王切開を行う決断をするまでに時間がかかりすぎました。息子は大変な状況を経て深刻な状態で生まれてきたので、すぐに新生児集中治療室に入れられました。ところが、この小さな命が難産によって引き起こされた深刻な症状を乗り越えていくために、医師ができることは何もなかったのです。しかし、神のあわれみにより、息子は回復していきました。
あれほどの恐怖を味わったことは、後にも先にもありません。私は、集中治療室のベビーベッドのかたわらで凍りついていました。しかし、祈り心で神に語りかけるなら、神がそばにいてくださるという確信がありました。
人生で恐れを覚えるとき(そのほかのどんな時にでも)、神のご臨在を実感し、神が心配していてくださると分かるならば、痛んでいる心に大きな慰めが与えられます。詩篇の作者であるダビデは、「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」と賛美しました(詩23:4)。
恐れに圧倒されるときでも、神はそばにおられます。神のなぐさめは、試練の谷を抜けるまでずっと一緒に歩んでくださいます。
危機の中の平安
◆ エレミヤ書34-36
◆ ヘブル2
教会の役員をしているテッドが、警察官として働いていた頃のことです。ある日、通報を受けて急行すると、自分の生命が脅かされるような事態に直面しました。人を刺した男が、その刃物をテッドに向けたので、仲間の警官は拳銃を発砲しました。犯人は取り押さえられましたが、流れ弾がテッドに当たったのです。テッドは救急車で病院へ運ばれました。そのとき、聖霊による深い平安が、波のように打ち寄せてくるのを感じました。彼の心は本当に平静で、あわてている同僚に落ち着くように言ったほどでした。