神の言い分、私の言い分
◆ ハガイ書1-2
◆ 黙示録17
あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、―申命記30:20
孫娘のエリアナが遊びに来ていた日中の出来事を、帰宅した私に妻が話してくれました。エリアナはしばらくおもちゃで遊んでいましたが、別の部屋に行こうとしました。それで、「エリアナ、まずおもちゃを片付けてちょうだい」と、おばあちゃんに注意されました。ところがエリアナは「そんな時間はないの」と、すかさず応えたのです。エリアナはわずか2歳です。スケジュールに追われているわけではありません。
ブルドッグの目線で
◆ ミカ書6-7
◆ 黙示録13
わたし、主は……あなたを召し、……囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。―イザヤ書42:6-7
息子夫婦が飼っているブルドッグは、54キロのたくましい体で、恐ろしい顔をしています。名前は「バディ(相棒)」ですが、私をなかなか信用してくれません。私に近寄ろうともせず、遠く離れて、私の目を見ようともしません。しかしある日しゃがんでみると、下膨れのバディの顔がゆるむのに気づきました。バディは私を恐れなくてよいと分かったようです。嬉しそうに走って来ると、大きな前足を上げて私に飛びつき、筋肉の盛り上がった首を伸ばして、なでてくれとねだります。
無私の愛
◆ エレミヤ書50
◆ ヘブル8
彼[エパフロデト]は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。―ピリピ2:30
イラクで服役中の19歳の兵士は、建物の屋上から手りゅう弾が落ちて来ることに気づきました。彼は装甲車の砲塔で機関銃を構えていたので、落下物を撃ってはねのけようとしましたがうまくいかず、爆弾は装甲車の中に落ちてしまいました。彼には脱出する時間がありました。しかし逆に、手りゅう弾に飛びついてその上に覆いかぶさったのです。この驚くべき捨身の行為で、4人の同僚兵士の生命が助かりました。2007年12月4日のことです。
親切な行為
◆ エレミヤ書27-29
◆ テトス3
あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
― ルカ10:33
私たちは愛の少ない者です。なぜでしょう。親切にできない最大の理由のひとつは、相手の値踏みをするからです。私たちには「私の親切を受けるにふさわしい人とは、かれこれしかじかの人」という固定観念があります。イエスに「では、私の隣人とは、だれのことですか」と質問した人がいました(ルカ10:29)。つまり、「私の親切を受けるのにふさわしい人は誰ですか」という質問です。イエスはその答として、たとえ話をなさいました。
ため込むか、助けるか
◆ イザヤ書56-58
◆ Ⅱテサロニケ2
飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、―イザヤ書58:10
イギリスが第一次世界大戦に参戦した1912年の8月、オズワルド・チェンバーズ牧師は40歳で、妻と1歳の娘がいました。間もなくして、毎日3万人の男たちが新たに軍隊に入隊し、国民は、自家用車や自分の農耕馬を政府に売るように言われました。日刊紙には、戦死者や負傷兵の名前が載り始めました。英国は経済危機に直面していました。