望みをつなぐ錨
私はカナダのオンタリオ州ライス湖で、ポンツーンボートという釣り用の小舟に乗って、ブルーギル釣りをしていました。フランクとテッドも一緒でした。その日、魚の食いつきは最高でした。私たちは、忙しく餌をつけては釣り上げる、というのを繰り返しましたが、少しずつ手応えが悪くなっていると感じました。そしてその理由が、ボートが元々のポイントから動いているためだと気づきました。私たちの小舟は、錨(いかり)がしっかりきかずに湖底を滑り、強い風にあおられて流されていました。私たちは錨を引き上げて元のポイントへ戻り、再び錨をおろしました。ところが、また流され、三度試した後、あきらめて岸へ戻りました。錨を固定できなかったのです。
歌わずにはいられない
◆ 詩篇126-128
◆ Ⅰコリント10:19-33
私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。―詩篇146:2
ロバート・ローリーは19世紀の牧師で、自分にできる最大の貢献は説教だと思っていました。しかし彼の名は、賛美歌やゴスペル音楽によって最もよく知られています。ローリーは500曲以上の賛美歌を作詞したり、作曲したりしました。その中には、「墓の中に」(聖歌172番)「めぐみある主」(聖歌487番)「まもなくかなたの」(聖歌687番)などが含まれています。
私の主
◆ 詩篇54-56
◆ ローマ3
トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」―ヨハネ20:28
イエスは復活された後、弟子たちの前に現れて、ご自身の手と足をお見せになりました。弟子たちは初め、うれしさのあまり真実とは信じられなかったと聖書は語っています(ルカ24:41)。トマスはほかの弟子たちと一緒にいませんでしたが、彼もまた、自分の目で確かめるまでは信じることができませんでした。しかし、イエスが現れ、釘で打ち付けられた穴に指を入れ、わき腹に手を差し入れなさいと言われたとき、トマスは「私の主。私の神」と叫びました(ヨハ20:28)。