効果音の技師
昔の映画の音響技師は、劇中の効果音を工夫しました。皮袋にコーンスターチをつめてぎゅっと握ると、雪を踏みしめるような音がします。一対の手袋を振ると、鳥の翼が羽ばたいているように聞こえます。細い棒を振ると、ヒューッという音が出ます。音響技師は、あらゆる独創的な工夫によって効果音を作り、映画にリアリティーを持たせようとします。
ひょうたん 水筒
アメリカ南部の逃亡奴隷たちは、南北戦争(1861-1865)の前は「地下鉄道」をたどって自由を手にしました。「地下鉄道」とは、奴隷が南から北へ無事に逃れる秘密ルート、およびそれを手助けした奴隷制度廃止論者たちのことです。奴隷たちは、夜の闇にまぎれて何十キロも移動しましたが、そのとき迷子にならないように、「ひょうたん水筒」の明かりを頼りにしました。この「ひょうたん水筒」もまた暗号で、北極星の位置を分かりやすくしてくれる北斗七星のことです。アメリカの黒人霊歌に、”Follow the Drinking Gourd(ひょうたん水筒を追いかけて)”という歌がありますが、この歌詞には、逃亡奴隷の道行きを助ける暗号が隠されていたと考える人もいます。
蜜よりも甘い
ディズニー映画の「メリー・ポピンズ」を知っていますか。主人公は魔法の使える「乳母」で、現実ではありえない陽気な話です。こんな映画を楽しんだ古き良き時代を懐かしがっているように聞こえるかもしれませんが、実は違います。私が求めているのは、現実的かつ楽観的な将来のビジョンをもつ人です。メリー・ポピンズが、ひと匙の砂糖があるだけで苦いお薬も簡単に飲めると教えるように、嫌なことの中にも肯定的な一面があることを示してくれる、陽気で創造性豊かな人が大好きなのです。
真実を言っているのは誰?
アメリカで2012年に行われた大統領選挙の期間、テレビの演説会や討論会には、政治アナリストによる事実確認が行われました。候補者の言っていることとやってきたことを照らし合わせて、その発言が真実に基づいているか、それとも選挙用に操作されたものかを測ります。
心を守る
成人を対象にした聖書勉強会で長い間教えていましたが、生徒の質問に答えるときは、じっくりと聖書を考察するように努めていました。その後、40歳で神学大学院で教えるようになりましたが、あるとき、あの勉強会にいた女性の真剣な質問に、ひどい返答をしたことに気づきました。私のせいで2年間も悩んでいるに違いないと思うと、居ても立ってもいられなくなり、急いで帰宅すると電話をかけました。
ああ、見えてきた
デボラ・ケンドリックは、ブロードウェイ・ミュージカルの大ファンですが、目が不自由なのでステージ設定や登場人物を理解するのに苦労します。しかし最近、Dスクリプティブという最新技術を使ったミュージカルを見ました。これは、小型FM受信機を通してステージの視覚的要素の説明が聞けるというものです。録音ナレーションは照明や音響設備に接続されていて、ショーの進行に沿って、ステージのセットや出演者の動きを知らせてくれます。デボラはその経験について、コロンバス・デスパッチ新聞に次のように投稿しました。「先週、ニューヨークのショーを『見た』かと聞かれたら、『しっかり見ましたよ』と心から言うことができます。」
彼女の体験を読んで、これは聖霊の働きについて説明する良い例だと思いました。イエスは、十字架にかかる直前に「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」とおっしゃいました(ヨハ14:26)。聖霊は、私たちが神のみことばを理解しようとするとき、助けてくださいます。
聖書を開いて読んだり、学んだりするとき、真理の御霊が来て、すべての真理に私たちを導き入れてくれます(ヨハ16:13)。私たちは自分だけでは見えませんが、神の聖霊に導かれると見えるようになります。
文脈から離れて
無造作に投げやりな言葉を言い出した人に、友だちが励ましたり、アドバイスをしたりしました。ところが、その人は、単に面白がってある歌の歌詞を文脈から離れて口にしていただけでした。親身になって助けようとした人たちは、時間を無駄にしたのです。アドバイスも不必要でした。誤解を生む発言をした人が引き起こした問題は、今回のところ大して深刻ではありませんでしたが、人騒がせな言動につき合っている間に、もっと大切なことをしたり、本当に助けが必要な人に手を差し伸べることができたかもしれません。
人の関心を引くために文脈を無視した引用をしたり、議論に勝とうと屁理屈をこねたりする人がいます。さらに悪いのは、力関係で優位に立とうと、真理をゆがめる人です。その人たちは他人の人生のみならず、たましいにまで危害を及ぼします。
言葉を巧みに操って、相手を自分の思い通りに行動させようとする人、さらには、聖書のみことばを文脈を無視して用い、不正なことを正しいと相手に信じさせて行わせようとする人がいます。このような行為から身を守る手段は、ひとつしかありません。それは聖書を知ることです。私たちは、神が聖書の中で何を教えておられるか、きちんと知らなくてはなりません。イエスは、真理によって誘惑を退けることができました(ルカ4章)。私たちにも同じ真理が与えられています。神は聖書と聖霊をくださいました。これらが、私たちを導きます。私たちがだまされたり、道を逸脱させられたりしないように守ってくれます。
エール
ジョン・グレンは1962年に、地球周回軌道を初めて飛行したアメリカの宇宙飛行士です。ロケットが上昇したとき、地上の管制官はジョンに向けてエールを送りましたが、それは「神があなたを繁栄させてくださるように!」という意味の言葉でした。
このような支援の気持ちを表すことばのふさわしい使い方について、聖書の中に教えが残っています。それは、ヨハネの手紙第二1章10節に「あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません」と記されている、この「あいさつのことば」と訳された部分です。
使徒ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれていました。にもかかわらず、なぜ、このように教えたのでしょう。それは、当時の伝道者たちの生活に関連しています。伝道者たちは、各地で教えを宣べ伝えましたが、その際の宿や食事は、キリスト者である兄弟姉妹が提供していました。ヨハネは、聖書の真理が重要であり、旅の伝道者の教義が使徒の教義と違うならば、その人を家に泊めたり、お金をあげて支援をすべきではないと教えたのです。
これは今日のクリスチャンにも言えることです。私たちは、神にあわれみを受けているのですから、すべての人に親切にしなければなりません。しかし、誰かの計画に金銭的な援助を求められたときは、いつでも、神の知恵を求めなくてはなりません。私たちを真理へ導いてくださる聖霊(ヨハ16:13)は、いつ、誰を支援するのが適切なのかを示してくださいます。