奉仕の場
昨年、私たちの町は猛吹雪に襲われました。雪や氷で重くなった大木の枝が折れてあちこちで電線を切断し、町中の会社や家庭が数日間停電しました。私たちの家も被害に遭いました。最低限の電気は自家発電でまかなえましたが、料理はできません。そこで臨時休業のレストランを何軒も通り過ぎ、食事ができる店を探して、ずいぶん遠くまで出かけました。やっと営業中のレストランを見つけましたが、そこには、私たちと同じ考えのお腹をすかせた人たちがいっぱいいて、店内はごった返していました。
手を差し伸べる
アラスカ州バロー市の高校の関係者たちは、問題を起こして中退する生徒が入学者の半数にもなることにうんざりしていました。そこで、生徒たちが何かに興味を持てるようにとフットボールのチームを結成し、その中で人間力を養い、チームワークを学び、人生の教訓を教えるようにしました。ところが、バロー市はアイスランドより北に位置する寒冷地で芝が育たないため、生徒たちは砂利と泥のグラウンドで練習しなければなりませんでした。
隠れた生活
何年か前に、ジョージ・マクドナルドの「隠れた生活」という詩に出会いました。才気あふれるスコットランド人の青年が一流の学者の地位を捨て、老いた父の暮らす実家の農場に帰っていくという物語です。友人たちは、彼が自分の才能を無駄にしていると嘆きました。しかしこの青年は、マクドナルドが「普通の行い」とか「さり気ない援助」と呼ぶことを実行します。
選択と結末
◆ ゼカリヤ書5-8
◆ 黙示録19
イギリスのリバプールに「国際奴隷博物館」があります。そこには、さまざまな時代に奴隷にされた、男女の大人や子どもたちの悲惨な姿が記録されています。無垢な人々を自分の欲望の犠牲にする行為は恐ろしいものです。しかし、それだけではありません。博物館の壁には、奴隷の過去を持つ人権活動家、フレデリック・ダグラスの洞察に富んだ言葉が刻まれています。「友の足に足かせをかけた人は誰でもやがて、もう一方の端は、自分の首を絞めていることに気づく」と記されています。人の尊厳を奪う行為は、自分の人間性をも奪ってしまうのです。
良いわざに励みなさい
◆ 詩篇57-59
◆ ローマ4
今日、良いことをしても、明日には忘れられてしまう。でもとにかく良いことをしなさい、と言った人がいます。良い言葉だし、大切な戒めだと思います。イエスは「巡り歩いて良いわざをなし」たと、ルカが使徒の働きの中で記述しています(使10:38)。
ロイヤル・ウェディング
◆ エズラ記1-2
◆ ヨハネ19:23-42
結婚式は、昔からずっと、贅沢をする機会でした。現代の結婚式は、若い女性が一日だけお姫さまになるという、子どもの頃からの夢を実現するチャンスになっています。優雅なドレス、お姫さま風の髪型、豪華なブーケ、素晴らしいごちそう、そして、家族や友人からの溢れんばかりの祝福が、夢物語の雰囲気をしっかりと盛り上げます。多くの親は、娘の夢を実現させるために、早くから貯金を始めて多額の費用を準備します。ましてロイヤル・ウェディングともなれば、その贅沢さは格別です。私たち「庶民」は、めったにお目にかかれない豪華さです。1981年、英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式の様子が世界に放映されたとき、多くの人たちは、その豪華さの一端を垣間見ることができました。
良い行い
◆ Ⅱ歴代誌30-31
◆ ヨハネ18:1-18
妻のマーティーは料理上手です。仕事が終わって、彼女の手料理を味わうのは、私の楽しみです。彼女は夕食の後、近所まで出かけなくてはならないときがあります。そんなとき、テレビのリモコンを握っているか、食事の後片付けをするかは、私次第です。それで、袖をまくりあげ、食器を食洗機に詰め込み、鍋釜を磨くという好ましい行いができるときもあります。すべては、「まあ、ジョー!後片づけなんてしなくても良かったのに」と嬉しそうに妻が言うのを聞くためです。そして私は、「僕が、どれだけ君を愛しているか見せたかったのさ」と言うのです。