知れ渡った親切
ちょっと親切な行為をニューヨークの地下鉄で見たというニュースが、世界を駆け巡りました。若い男性がトレーナーのフードを深くかぶって居眠りをしていました。しかし、彼は隣に座っている年配の男性にもたれかかっていたのです。他の乗客が、青年を起こしてあげようかと尋ねましたが、肩を貸していた男性は、穏やかに言いました。「きっと大変な一日だったのでしょう。眠らせてあげましょう。そんな日は誰にでもありますから。」この人は、それから30分以上も熟睡する男性に肩を貸しつづけ、自分の降車駅が近づくと、ゆっくりと慎重に立ち上がりました。その間、別の乗客が写真を撮ってソーシャルメディアに投稿し、それは瞬く間に広まりました。
恩知らず
ある暑い夏の午後、ふたりの若者の乗った車がファーストフード店から渋滞した道に入ろうとしていました。ドライバーは誰もがイライラしていましたが、私の前の車は道をゆずって彼らを入れてあげました。私はそれを見て「親切な人だな」と思いました。
闇を押し留める
トールキンの小説「ホビットの冒険」の中で、魔法使いガンダルフは、ドワーフたちといっしょに敵と戦う仲間として、なぜビルボのような小さなホビットを選んだのかについて説明しました。彼は「サルマンは、偉大な力のみが敵をやっつけることができると信じているが、私はそうではないと思う。闇を押し留めているのは、普通の人が日常的に行うちょっとしたことだ。愛とか親切とかという、ちょっとしたことだ」と言いました。
親切な行い
友だちと旅行をしているとき、道路脇に立ち往生している家族に出くわしました。友人たちはすぐに車を寄せてその家族を助け、車のエンジンがかかるようにし、その夫婦と話をしてガソリン代を手渡しました。何度もお礼を言う妻に対して彼らは、「お役に立ててうれしいです。イエスの御名によってしたことです」と答え、その場を立ち去りました。彼らが困っている人を助け、カンパまでして、親切の源はイエスだと当然のように言う姿は、何とも印象的でした。
隠れた生活
何年か前に、ジョージ・マクドナルドの「隠れた生活」という詩に出会いました。才気あふれるスコットランド人の青年が一流の学者の地位を捨て、老いた父の暮らす実家の農場に帰っていくという物語です。友人たちは、彼が自分の才能を無駄にしていると嘆きました。しかしこの青年は、マクドナルドが「普通の行い」とか「さり気ない援助」と呼ぶことを実行します。