どちらの側に つく
アメリカの南北戦争が大詰めを迎えようとしていたとき、リンカーン大統領の側近のひとりが、神が北軍に味方してくださったので感謝していると言いました。しかし、リンカーンは、次のように応じました。「私の関心は、神が我々の側につくか否かではありません。最大の問題は、私たちが神の側にいるかどうかです。神は常に正しいのですから。」
指標とつなぎ柱
過去は未来に向かって進むための指標として用いるべきで、それを「つなぎ柱」にしてはならない、と言う人がいます。私たちは「古き良き時代」の思い出に浸るばかりに、その体験を未来への糧にできないことがよくあります。昔はよかったという懐古の情には、人を引き留める力があって、私たちはみな、その影響を受けやすいものです。
旅の道連れ
最近、大学院時代の同窓生の消息を調べてみると、多くの人が亡くなっているのが分かりました。改めて人生の短さを思い、気持ちを引き締めました。大抵の人は70歳か80歳ぐらいまで生きて、世を去ります(詩90:10)。私たちは旅人であり寄留者だとイスラエルの詩人は語っていますが(詩39:12)、まさにその通りです。
道路工事
私の暮らすミシガン州には、ここの季節はふたつ、つまり冬と道路建設だ、というジョークがあります。厳しい冬の間に路面が傷みます。そして、凍っていた地面が溶けるとすぐに、道路工事の人たちは仕事を開始します。私たちはこの作業を「建設工事」と呼びますが、その大半は道路を壊しているようです。道路に開いた穴は、詰め物をするだけでは用に耐えず、古い道路を壊して、新しい道路に作り換える必要があるからです。
新ルートを検索
大丈夫、道は分かってるからと言ったのに、人間そっくりの声が「新ルートを検索します」と横槍を入れてきました。やれやれ、これで道に迷っていると同乗者にバレてしまいました。
「新ルートを検索します」の声を聞くと、車を運転する人なら誰でも、角を曲がりそこねたり、道を間違えたりしたのだと分かります。カーナビは、道を外れたことを探知するだけでなく、正しい道に戻るためのルートをすぐさま検索してくれます。
クリスチャンも時として、(霊的な意味で)歩むべき道に戻るために、助けが必要になります。自分にとっての最善は自分が一番よく知っていると主張して、わざと道を外れる人があります。また、神がともに歩みたいと願っておられる道から、だんだん離れて行っているのに、そのことに無頓着な人もいます。
けれども、神はそんな私たちを放ってはおかれません。神はすべてのクリスチャンに聖霊をくださいました(ヨハ14:16-17、Ⅰコリ3:16)。その聖霊は、私たちの罪を指摘されます(ヨハ16:8、13)。私たちが道をそれかかると警告を発して、私たちの良心を呼び起こされます(ガラ5:16-25)。神の警告を無視するのはその人の勝手ですが、そんなことをすれば、結局は自分の身に損失を招きます(イザ63:10、ガラ6:8)。
「罪を示す」という聖霊の働きを通して、神が私たちの生き方に働きかけてくださるのは、何と安心なことでしょう(ロマ8:26-27)。神の助けと導きによって、私たちは神に喜ばれる歩みを続けることができます。
クリスマスの旅
◆ オバデヤ書
◆ 黙示録9
ナザレからベツレヘムまで、どのくらいの距離でしょうか。もし、これがアメリカのペンシルベニア州のナザレから同州のベツレヘムまでなら、15キロメートル足らずです。車で10分ほどの距離です。しかし、身重の妻と一緒に出かけたヨセフのように、ガリラヤのナザレからユダのベツレヘムまで行くのなら、130キロメートル近くあります。ヨセフと妻マリヤは、おそらく一週間ほどかけて、そこに到着したことでしょう。けれども、快適なホテルで過ごしたわけではありません。ヨセフは家畜小屋しか見つけられず、そこでマリヤは「男子の初子」を産んだのです(ルカ2:7)。
人生の道について考える
◆ 詩篇110-112
◆ Ⅰコリント5
カール・ラーベダーという47歳のオーストリア人の男性は、4億円相当の全財産を寄付しました。大金を稼いでは使う派手な生活によって、自分は本当の幸せから遠ざかっていると感じたからです。彼は、ロンドンのデイリー・テレグラム紙に対してこう言いました。「私は、欲しくも必要でもないもののために、奴隷のように働いていると感じました。人生で最大のショックは、この『五つ星』生活が、温かみのないひどい虚構だと気づいたことです。」彼は、中南米の人々を助ける慈善団体を設立し、その基金として財産を寄付しました。