1年で聖書を!
◆ 詩篇72-73
◆ ローマ9:1-15
聖書のみことば ローマ9:1-5

 
もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。―ローマ9:3


商店街の雑踏で、人々をかき分けながら進んでいく女性に目を留めました。何といっても、彼女のTシャツのメッセージがすごかったのです。そこにはでかでかと太字で「私だけが大切」とありました。彼女の態度は、このメッセージのとおりでした。

このような態度は、残念なことに、彼女だけではないと思います。今日、多くの人たちがこのメッセージを当然だと思っていますから、現代社会のモットーなのかも知れません。しかし、クリスチャンが発するメッセージは、こうではありません。大切なのは、イエス・キリストと自分以外の人々です。「私」ではありません。
 

使徒パウロは事の重大性をよく認識していました。同胞のイスラエル人の救いについて真剣に心配していたので「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです」(ロマ9:3)と語りました。これは驚くべき発言です。大切なのは自分という態度とは、まったくかけ離れています。イスラエル人のためになら、自分の永遠のいのちを手放してもよいとまで断言しているのです。

世の中は、破壊的なまでに自分本位です。この難しい世にあって、パウロの自己犠牲の教えは、私たちに新鮮な響きをもって迫ってきます。私たちも自分に問わなくてはなりません。大切なのは自分ですか。それともイエス・キリストとこのお方が手を差し伸べようとした人たちですか。 (Bill Crowder)

私たちの生き方の特徴は、己に対する執着ではなく、キリストと人々に対する愛であるべきだ。