野球殿堂入りを果たした捕手のゲーリー・カーター(1954-2012)はクリスチャンでした。19年間の現役生活は、信仰から力や忍耐を得て頑張った戦いの日々でした。2012年、カーター選手が57歳の若さで脳腫瘍により亡くなると、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者アンドリュー・クラバンが彼を追悼し、カーター選手が自分の人生に与えた影響について書きました。

クラバンは1980年代の後半、人生で最も大変な時期を過ごしていました。自殺を考えるほど落ち込んでいたのです。その時、カーター選手のインタビューを耳にしました。所属チームであるニューヨーク・メッツの試合で、カーターは大切な場面で全力疾走し、チームの勝利に大きく貢献しました。彼は選手としては高齢で膝も痛めていたので、あんなプレーがどうしてできたのかと問われました。すると、カーターは「痛くても戦わなければならない時がある」と答えたのです。この単純な返答が、クラバンをうつ状態から救いました。彼は、「僕にもできる!」と宣言しました。心を奮い立たされ、希望を見い出しました。クラバンは後に、キリストを信じるようになりました。

カーターの言葉の背後には、哀歌に記された慰めに満ちた真理があります。私たちは、悲しみ、痛み、また苦難に遭遇するかもしれませんが、自己憐憫に陥る必要はありません。神は、そのような状況が起こることを許されましたが、そのただ中で豊かに恵み、あわれんでくださいます(哀3:32)。仮に痛みの中で戦うことになっても、神の愛が私たちを高く上げてくださるので、私たちは戦っていくことができます。