Month: 5月 2015

きしむ車輪

英語には、「きしむ車輪は油をさしてもらえる」という有名なことわざがあります。私は自転車通学をしていたので、その意味がよく分かります。

苦しみという学び舎

C.S.ルイスは、「神は、私たちが楽しいときにはささやきかけ、良心には語りかけられます。しかし苦しみにおいては、叫んでおられます。苦痛は、耳を塞いだ世界を呼びさまそうとする神のメガホンです」と記しています。苦しみは往々にして、己の焦点を見直させます。目下の状況から思いを転じ、神に耳を傾け、「私の人生にどんな御業をなさっているのですか」と問いかけます。平穏な日常生活が、霊の学び舎に変わります。

喜び溢れる心

シンガポールのチャンギ空港の搭乗ゲートで、機内へ案内されるのを待っていると、子どもづれの夫婦に気づきました。彼らは混雑する待合室で座席を探していました。すると突然、子どもが大きな声で「もろびとこぞりて」を歌い出しました。彼は6歳ぐらいでしたが、感心なことに、歌詞を全部覚えていました。

最高の婚礼

ここ800年ほどで、ユダヤの結婚式に新しい習慣が加わりました。式の終わりに、新郎が足元でワイングラスを割ることです。一説によると、グラスを砕くことは紀元70年のエルサレム神殿の崩壊を象徴しており、自分たちの家庭を築こうとする若い夫婦が、神の家が壊されたままであることを忘れないように、自らを戒めているのだそうです。

仕える人

泣いている赤ん坊にミルクを飲ませ、上の子がなくしたおもちゃをベッドの下から引っ張り出し、夫といっしょに青いネクタイを必死になって探しながら、「私はだれの召し使いでもないのよ」と叫びました。けれども、後で聖書を読むと、「食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう…しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています」(ルカ22:27)というみことばに出くわしました。

すべての世代に

子どもたちが親の信仰を受け継がないこともあれば、キリストをまったく信じていない家庭から、キリストに全き献身を貫く人が出ることもあります。不思議に思えるかもしれませんが、どんな時代でも、信仰は各人が自分で選択するものです。

優しく正しなさい

ケニアのナイロビで開催された国際会議が終わって、私たちは宿泊先に移動しました。翌朝、帰国の予定です。ところが宿舎に到着すると、会議場に忘れ物をした、という面倒な人がいました。その人が会議場に戻って行くと、いつも非常に几帳面なグループのリーダーが、彼女を鋭く批判しました。