怒りの祈り
ある冬の日、私の姿を見た人は何と思ったでしょう。私は車を出すために、ガーデニング用のシャベルで家の前の排水路に張った氷を割っていました。「何でこうなるの。こんなことは、私のすることじゃない。そんな力は無いし…」と、氷を打つごとに怒りを込めて神に訴えていました。私は介護をしていて、とても忙しいのです。それに加えて、氷の始末までするなんて、もうたくさんですと。
ねたむ神
カリフォルニア大学のクリスティン・ハリス教授は、2014年、動物が嫉妬することをぬいぐるみを使って示しました。犬の飼い主に、自分の犬の前でぬいぐるみをかわいがる仕草をしてもらうと、4分の3の犬が嫉妬しました。飼い主をつついて気を引こうとしたり、飼い主とぬいぐるみの間に割り込んだり、ライバルに噛みつこうとした犬もありました。犬の嫉妬は可愛いものですが、人間の場合はそういうわけにはいきません。一方、モーセとパウロは、別の嫉妬を思い出すように私たちに語ります。つまり、神の心を表す嫉妬です。
日々の雑用
私が通った中高一貫校では、ラテン語が4年間必須でした。私たちの先生は反復練習を重視していて、一日に何度も「繰り返しは学習の母」と生徒たちに唱和させました。一方、私たちは「繰り返しは馬鹿げている」とこっそりつぶやいたものです。
賢者の言葉
姪の夫が最近、ソーシャルメディアのサイトに次のような書き込みをしました。「やめておきなさい、とささやく小さな声がなければ、私はオンライン上でもっとたくさんのことを言うでしょう。クリスチャンならば、その小さな声は聖霊だと思うかもしれませんが、それは妻のハイディの声です。」
水といのち
デイブ・ミューラーが蛇口をひねると水が勢いよく流れ出て、周りにいた人たちが拍手しました。みんなは、村にきれいな真水が初めて来たことを祝いました。清潔な水源を得て、ケニヤのこの村の人たちは、新しい生活を始めることができます。