ガーナではよく、死亡告示を掲示板やコンクリート塀に貼ります。「早すぎた死」、「大往生」、「衝撃」などと見出しをつけて家族の逝去を伝え、葬儀を告知します。そんな中に「移行」という見出しがありました。向こうの世界があると示しているのです。

マリヤとマルタが兄弟のラザロの死を嘆いたように、私たちも親族や友人の死を悲しみます。大切な人が逝ってしまうと、イエスのように私たちの心も痛みます(ヨハ11:35)。しかしイエスが、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」と永遠のいのちについて語られたのは、そういう悲しみのときでした(25-26節)。

信仰者同士にとって、死は一時的な別れです。使徒パウロも、この人たちは「いつまでも主とともにいる」と強調しています(Ⅰテサ4:17)。大切な人との別れはもちろん辛いものですが、亡くなった人が主の御手で守られていることは間違いありません。

「移行」という見出しは、ある状況から別の状況に移って行っただけだ、と語っています。地上の人生が終わると、次はイエスのみもとで、より良い状態で生きつづけます。永遠に生きつづけるのです。「こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい」(18節)と聖書が勧めるのは、そのためです。