赤ん坊がひきつけを起こしたので、友人夫婦は救急車を呼んで病院に駆け込みました。娘の小さな手を握り、彼女のために祈りながら、友人は自分の鼓動が速くなるのを感じました。そして我が子に対する狂おしいほどの愛は、神がどれほど自分を愛しておられるかを再認識させてくれたといいます。

預言者ゼカリヤは、バビロン捕囚からエルサレムに戻ってきたイスラエルの民に、悔い改めるように勧めました。そして、神殿を再建し、心を新たにして真実の神を愛しなさいと言いました。なぜなら、神は彼らを愛しておられ、彼らは主の「ひとみ」であるからです(ゼカ2:8)。

ヘブル語の学者たちは、ゼカリヤ書2章にあるこの表現は、相手の瞳に自分の姿が映ることに由来していると語ります。瞳は大切な上に傷つきやすいので、しっかり守らなくてはなりません。神は私たちの映ったご自分の瞳を守るかのように、ご自分の民たちを抱きしめて守りたいと言われます。

私たちの真中に住まわれる神は、私たちに豊かな愛を注がれます。その愛は、病気の我が子を思う母の愛より大きいのです。私たちは主のひとみです。神に愛されています。