父は寡黙な人でした。若い時の長い兵役で耳を痛め、補聴器をつけていました。ある日の午後、私たちのお喋りが過ぎると思ったようです。それで「安らぎと静けさが欲しい時は、こうすれば十分だ」と冗談まじりに言うと、補聴器のスイッチを切ってしまいました。そして、両手を頭の後ろで組んで静かに目を閉じました。その様子を見て、私たちは大笑いしました。

その出来事で思わされたのは、神と人の違いです。神はいつでも神の子どもである私たちの話に耳を傾けておられます。

ネヘミヤはペルシャのアルタシャスタ王の献酌官でした。ある日、なぜ悲しそうにしているのかと王に問われて、先祖の街エルサレムが破壊されて今や廃墟となっているからだと、恐れながらも告げました。すると王は「では、あなたは何を願うか」と問いました。ネヘミヤは語ります。「そこで私は、天の神に祈ってから、王に答えた」(ネヘ2:4)と。ネヘミヤの祈りは一瞬でした。しかし、神は、その短い祈りに応えてくださいました。ネヘミヤは今まで、エルサレムのために多くの祈りをささげてきたことでしょう。そしてこの瞬間、神の慈しみに満ちた御業が始まりました。エルサレムを復興したいというネヘミヤの願いを、王が聞き入れてくれたのです。

神は、長くても短くても、すべての祈りに耳を傾けてくださいます。何という慰めでしょう。