神の物語に生きる
ヘミングウェイは、英単語6つで人の心を動かす物語が書けるかと質問され、「未使用のベビー靴、売ります」と答えました。この迫力の理由は細部を読者に想像させるからです。元気な赤ん坊のいらない靴でしょうか。それとも、神の深い愛と慰めを必要とする悲劇的な死の結果、靴が不要になったのでしょうか。
神が手を握ってくださる
ある日曜日、幼い女の子が教会の階段を下りていました。それは彼女のミッションで、可愛く勇敢な独立心の表れです。2歳ぐらいの子どもが、階段を一段一段、ひとりで下りて来て、やり遂げました。私は、この勇敢な少女の大胆な行為に笑みがこぼれました。その子が決して恐れなかったのは、彼女を見守る優しいお母さんのまなざしと、いつでも助けてくれる手があったからです。これは、先の見えない人生を歩む神の子どもたちに、いつでも手を差し伸べようと準備されている主の姿をうまく映しています。
生きた供え物
大叔母は広告業界で活躍し、シカゴとニューヨークの間を飛び回っていました。しかし、田舎で世話を必要としていた両親のために退職しました。両親はふたりの息子を悲劇的な形で早く亡くし、彼女だけが残されました。彼女にとって、両親に仕えることが自分の信仰を表す形でした。
手紙を送る
ルビーは4歳の女の子で、歌ったり踊ったり、遊んだり走ったりするのが大好きでした。ところがある日、両膝が痛くなり医者に見てもらうと、神経芽細胞腫というがんでステージ4だと診断され、直ちに入院しました。
それはそれとして前進
ラジオ局のキャスターをしている友人が賢い助言をくれました。キャスターになりたてで、批判と称賛を同時に浴びて戸惑っていたとき「両方とも、それはそれとしておきなさい」と神が言われていると感じたそうです。つまり、批判から学べることがあるなら学び、称賛は感謝して受け入れる。しかし、そのどちらにも囚われず、神の恵みと力によって謙虚な気持ちで前進しなさいということです。
批判も称賛も、私たちの感情に大きな影響を与えるので、振り回されて過度に落ち込んだり、逆に尊大になったりしてしまいます。箴言は称賛と賢い助言の恩恵について、次のように語ります。「良い知らせは人を健やかにする。…訓戒を無視する者は、自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る」(15:30-32)。
叱責を受けたなら、それを糧に益々実力に磨きをかけましょう。箴言は「いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る」(15:31)と語ります。一方、称賛は感謝して受け取り、励みにしましょう。謙虚な気持ちで神と共に歩めば、批判と称賛の両方から学ぶことを覚えます。また、両方とも、それはそれとして前進できるようになっていきます(33節)。