Month: 11月 2019

羊のようだ

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。—イザヤ書53:6

ガーナ北部で祖父と一緒に生活していたとき、私に与えられた家の手伝いは、羊の世話でした。毎朝、羊を牧場へ連れ出し、夕方には戻します。このとき初めて、羊の強情さを知りました。例えば、畑を見ると必ず入って行こうとするので、私は幾度となく農家の人たちに叱られました。また、暑さと疲れで木陰で休んでいると、羊たちは散り散りに繁みに入って、丘に向かって行きます。後を追いかけると、足が引っかき傷だらけになりました。羊が危険な目に遭わないようにするのは、本当に大変でした。羊泥棒が、さまよう羊を狙って襲うようなときは特にそうです。

ですから私は、「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」(イザ53:6)という、イザヤの言葉がよく分かります。私たちは、さまよっています。神が悲しまれることを願ったり、行ったり、他人を傷つけたします。多忙や無関心が理由で、神とともに過ごす時間や神のみことばを学ぶ時間を大切にしなくなります。まるで牧場の羊のようです。

しかし、幸いなことに、いのちを捨ててくださった「よい羊飼い」がおられます(ヨハ10:11 口語訳)。その方は、私たちの悲しみと罪を負ってくださいました(イザ53:4-6)。そして、みそば近くを歩むことができるように、安全な牧場に帰りなさいと、声をかけてくださいます。—Lawrence Darmani

私は時にさまよいます。私のたましいの羊飼い、いつも私を探し、あなたのもとへ連れ戻してくださるお方、心から感謝します。

神に導いていただきたいなら、喜んでついて行かなければならない。

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永続する平和

キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、—エペソ2:14

第一次世界大戦中、1914年のクリスマスイヴのことです。約50キロにわたる西部戦線で銃声がやみました。塹壕(ざんごう)の上から覗き見ると、自分の陣地を修繕したり、死者を埋葬しようと、姿を現した兵士たちがいました。夜の闇が落ちると、ドイツ軍の中には、ランプを灯してクリスマスの賛美歌を歌う連隊が表れました。すると、敵である英国の兵士たちは拍手し、大きな声でクリスマスの挨拶をしました。

翌日、独、仏、英軍の兵士たちは、どちらの軍にも属さない緩衝地帯で握手を交わし、食べ物を分け合い、プレゼントを交換しました。この短い平和はまもなく終わり、翌日、大砲と機関銃の爆音が息を吹き返しました。しかし、後に「クリスマス休戦」と呼ばれるようになったあの日、あのいっときの平和を体験した人々は、誰ひとりとしてその味を忘れることはなかったでしょう。また、どれほど恒久平和を願ったことか、その思いも忘れなかったはずです。

イザヤはメシヤの到来を預言して、「その名は、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」と語りました(イザ9:6)。イエスは十字架の死によって、神と私たちを敵として隔てる「緩衝地帯」を取り除いてくださいました。「キリストこそ私たちの平和」です(エペ2:14)。

イエスとひとつになることで、人は永遠に神と平和を保ちます。また、他の人と調和することもできます。これが、人生を変えるクリスマスのメッセージです。—David C. McCasland

キリストの内にあってのみ、真の平和は実現される。

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分かってくださるお方

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。—ヨハネ1:14

ジョン・バブラーは、テキサス州のある町の警察署と消防署でチャプレン(職場の牧師)ですが、長期の特別休暇を利用して警察官訓練所に通いました。自分が仕えている人たちをもっと理解したいと思ったからです。候補生たちとともに過ごし、警察官が直面する厳しい課題について学んだことで、バブラー牧師は更なる謙遜と共感を身につけました。今後は、精神的ストレス、疲労、喪失にさらされる警察官を、より効果的に支援したいと願っています。

神は私たちを造られ、私たちに起こることをご存じですから、すべての状況を理解しておられます。その上、人としてこの世の人生を経験されたのですから、私たちの問題をご存じです。イエス・キリストは「人となって、私たちの間に住まわれ」ました(ヨハ1:14)。

イエスの人生には、さまざまな困難がありました。焼けるような太陽の熱、空腹の辛さ、安住する家のない不安を経験されました。批判や裏切り、度重なる脅しにもさらされました。また、友情や家族の愛という喜びや、この上ない痛みや死も経験されました。

イエスは、私たちの不安を洞察と思いやりを持って忍耐強く聞いてくださる不思議な助言者です(イザ9:6)。イエスは希望をくださいます。イエスは、私も経験したから分かりますと言うことができるお方です。—Jennifer Benson Schuldt

親愛なる主よ、ご自分を低くして人になるほどに、私たちを心配してくださり、感謝します。あなたは私の人生の全てを理解しておられます。私の悩みをあなたにおゆだねします。心から感謝します。

神は、私たちの困難を分かってくださる。

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警戒円

アフリカのサバンナに生息するガゼルは群れで「警戒円」を描いて休む習性があります。各々が外を向いて円を作り、違った方向を見ます。おかげで、地平線の360度を見渡せ、危険やチャンスを察知できます。互いに自分のことだけでなく、仲間のことも気をつけているのです。

本当の友だち

中学生のとき、私には「たまに友だち」という人がいました。同じ教会で唯一の同年代だったので、時々いっしょに遊びました。しかし、学校では事情が違いました。誰もいない所では声をかけてくれても、他の人と一緒だと素通りされました。それに気づいてからは、学校では声をかけなくなりました。教会内限定というこの友情の限界が分かったからです。