愛をもって対立する
ある法律に関して国を二分する論議が起こり、クリスチャンの意見も分かれました。そしてお互いを「心が狭い」とか「信仰の妥協」と非難しました。神の家族が意見の違いで分裂し傷つくことがあります。私も聖書の教えを生活に適用させることで意見の違う人から揶揄されたことがあります。しかし、反対意見の人を傷つけたことが、私にもあったでしょう。
獲物を探すネズミ
数年前、息子たちとアイダホ州北部のセルウェイビタールート原生地でキャンプをしました。そこはハイイログマの生息地です。私たちは熊と鉢合わせしないように、周囲をきれいにし、熊よけスプレーも準備しました。ある晩、息子のランディが寝袋でもがいている音が聞こえました。熊に襲われたのかと、懐中電灯をつかみました。
生活が大変なとき
心身ともに疲れ果てソファーに倒れ込みました。神の導きに従ってカリフォルニア州からウィスコンシン州に家族で引っ越しましたが、到着するやいなや車が故障し、2ヶ月間、移動手段がありません。夫は予想外の腰の手術、私は慢性痛があるので、荷解きが進みません。新しい家は中古住宅で、修理にお金のかかる問題があると分かりました。我が家の老犬は病気です。新しい子犬が来て嬉しいのですが、活発で予想以上に手がかかります。それやこれやで、私は険悪になってきました。どうすれば、人生のでこぼこ道を通るときでも、揺るぎない信仰を保てるのでしょう。
自由にされた
作家のマーティン・レアードは散歩の途中、4匹のケリーブルーテリアを遊ばせる男性をよく見かけました。3匹は広い野原を自由に駆け回っていますが、1匹は飼い主のそばをぐるぐる回るだけです。その犬は保護犬で、ほとんどの時間を檻の中で過ごしたからです。自由に なっても狭い檻に閉じ込められているかのように行動していました。