息子にせがまれてスマホにゲームを入れました。自分のいる場所の風景に色とりどりの生き物が現れ、それを捕まえるというものです。このゲームは行く先々が競技場になるので以前より歩くようになりました。これで息子と遊ぶときは、現れた生物を捕まえるチャンスを最大限に活用しようと頑張ります。やみつきになるこのゲームに、引き込まれ、没頭してしまいます。しかし、ある問いが心に浮かび、自責の念にかられました。神が私の周りに置かれた機会を最大限に活用しようと、これほど頑張っているでしょうか。

使徒パウロは、神の御業を敏感に察知する必要を分かっていました。彼は福音を語る機会のために祈って欲しいと述べ(コロ4:3)、「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい」(5節)と勧めました。パウロは、コロサイの教会が周りに影響を与えるチャンスを逃さないようにと願っていました。そのためには、人々をきちんと見て、その必要を見極め、「いつも親切で」なくてはいけません(6節)。

世の中では多くのものが、私たちの時間と注意を捕えようとせめぎ合っています。しかし神は、主を指し示すチャンスを日々捕えるという現実の冒険に、私たちを招いておられます。