私の出身地テキサスの黒人たちは、6月19日をパレードやピクニックをして祝います。私はティーンになるまで、この祭日の背景である悲しい歴史を知りませんでした。1865年のこの日、テキサスの黒人奴隷は、リンカーン大統領が奴隷解放宣言に署名したことを知りました。しかし、実際の署名は、2年半も前のことだったのです。テキサスの奴隷たちは、解放されていたとは知らずに、2年半の間、奴隷のまま暮らしたのです。
自由人なのに何かの奴隷になっていることがあります。使徒パウロは、このような状況が別の意味で存在していることに言及しました。ガラテヤの人々が宗教規則の重荷に押しつぶされそうになりながら生きていたからです。そこで「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい」(ガラ5:1)と述べました。彼らは、食物規定や交友規定などから解放されたはずでした。ところが、多くの人は、まだ規則に縛られているかのように生きていました。
残念なことに、現代のクリスチャンも同じかもしれません。しかし実際、キリスト者は、救われた瞬間から、人の作った宗教上の掟を破る恐怖から解放されています。自由は宣言されました。神の力によって、それを体現していきましょう。
宗教上の規則に縛られていると感じることがありますか。キリストの自由をどのように経験しましたか。
主よ、抑圧的な規則から解放してくださり感謝します。