私は静寂という概念が好きです。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦(とりで)。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」(詩46:2)。だから大丈夫、だから心静かにしている、という考えのことです。

「力を捨てよ、知れ わたしは神」(詩46:11)。よく引用されるこの一節は、「力を捨てる」または「静まる」(口語訳)ことが神を知るために不可欠だと教えてくれます。しかし、それは容易ではありません。神の御前で何もせず、静かにしているなど、無理だと思うときがあります。

「運動している物体は運動し続ける性質がある」は、物理の基本的な法則ですから、絶えず活動して、義務や責任を果たす生活の中で、切り替えるのは大変です。動くものには惰性の力が働きます。例えば、舟です。舟は前進する時に作り出した波や流れの影響で、舟をこぐのを止めてもしばらく進み続けます。

もし、力を捨てて静まる価値に気付いてはいるものの、なかなかそこに到達できないというのなら、上記のことが理由の一つです。私たちの活動や生活のペースは、揺れ動く物体のごときです。ですから、自分をいたわり十分なゆとりを与えましょう。心のさざ波が収まって、御前で静まるには時間が必要かもしれませんが、主のもとで憩いましょう。