ヌニェスが滑落した先は、盲人の谷でした。初めの入植者たちの視力を疫病が奪い、その後に生まれた人は皆、生まれつき盲人でした。何世代にも渡って見えない生活をしてきた彼らに、ヌニェスは見えるということを説明しようとしますが、彼らは無関心でした。ヌニェスはようやく谷から出る道を見つけ、村を去ります。峰から眼下を眺めると、岩石流が盲人たちの村に向かっているのが見えました。彼は戻って警告しましたが、人々はヌニェスを無視したのです。これがH.G.ウェルズの『盲人国』という物語です。
この話は預言者サムエルを想起させます。サムエルの人生が終わりに近づいた頃、彼の「息子たちは父の道を歩まず」(サム上8:3)、神を愛することも神に仕えることもしませんでした。彼らの盲目性は、サムエルに「王を立ててください」(5節)と言った「イスラエルの長老」(4節)たちの投影です。この人たちは皆、神と神を信じることから目を背けたのです。神はサムエルに「彼らが退けたのはあなたではない。……わたし……を退けているのだ」(7節)と言われました。
大切な人が霊の目を閉じて神を拒んだら心が痛みます。しかし「この世の神が、……見えないようにした」(Ⅱコリ4:4)人々にも希望があります。ですから、この人たちを愛し、彼らのために祈りましょう。「わたしたちの心の内に輝いて」(6節)おられる方は彼らにも光を与えることができるのですから。
神を見ない人々を、神が見ておられるという事実は、どんな支えになりますか。霊の目が見えない人にも常に希望があるのはなぜでしょう。