サラはボルダリングの練習中、壁の高いところで動けなくなりました。クライミングホールドをつかんでいる指が疲れてきて、これ以上無理です。地面に叩きつけられてしまうとパニックになりかけました。しかし、安全確保の役目を担う「ビレイヤー」でもあるインストラクターが、下から大丈夫と何度も声を掛けました。サラのハーネスに結ばれたロープの端は滑車を通して彼につながれています。もし、サラが落ちても彼の体重で支える仕掛けになっているのです。彼は大声で「僕は君よりずっと重いんだ!手を放してごらん」と呼びかけました。そのとおりにすると、身体が壁から離れて安全に宙づりになりました。
この経験は詩編18編3節「主はわたしの岩、砦、逃れ場 わたしの神、大岩、避けどころ」に、新しい洞察を与えてくれました。「神は、私のどんな重荷より、ずっと重いお方だ。だから、心配や不安から手を放しても大丈夫。神は私を支えられる」と。
ダビデは、力ある「敵」が「攻め寄せる災いの日」、つまり「大水」の中から引き上げられた後、詩編18編を詠みました(17-19節)。彼は、たとえこの災いが不可避でも、全能の救い主を頼ることができる、神は彼をつかんで離されないと、分かっていました。
とらわれていることを手放し神に委ねるとは、実際には、どういうことですか。どうすれば恐れを神に委ねられるでしょう。
今月のトピック:「神は愛」神はどのようなお方かと聞かれてまず何を思い浮かべますか?