神のご計画は神の人々
私はある神学大学院の理事として、新学長の招聘(しょうへい)委員会の一員になりました。委員会で学長職に必要な資質や資格、経験などを列挙していると、この重責を担える人はいるのかしらと思ってしまいました。

イエスを誰より愛する
教会堂を増築して尖塔(せんとう)を設置すると聞いて、疑問を呈した教会員たちがいました。そのお金で貧しい人を助けることもできるのにと。牧師は、使い道が指定された献金だと説明した上で、主は「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」(ヨハ12:8)と言われていますね、と言いました。文脈を無視した発言だったとすぐに謝りましたが、私は考えました。イエスの文脈とは何だったのでしょう。

習慣と聖霊
この辺りで育ったかと歯科医院で質問されましたが、口の中に器具が入っていて言葉が出ませんでした。衛生士は続けて、ここが1945年に世界で初めて公共上水道にフッ化物を加えた町だと説明しました。虫歯予防に必要な量は水1ℓにつきわずか0.7mgなので、専門家にとって、費用対効果は明らかでした。私は何も知らずにその水道水をずっと飲み続けてきました。

イエスの祈り
苦境に立った時、「イエス様、私のためにどう祈ってくださっていますか」と心から問いかけたという友人の話は、私の祈りというものに対する理解と実践に新たな一面を加えてくれました。

意味を求めて掘る
我が家の新しい子犬ウィンストンは、かむ、寝る、食べるの他、穴掘りをします。真剣に、激しく、取りつかれたように堀って、土まみれになります。この子はなぜこんなに掘るのだろうと考えていてハッとしました。そういえば、私も掘ります。私に幸せをくれそうなものを次々と「掘る」傾向があります。それは、必ずしも悪いものばかりではありませんが、神以外のものに執着すると、泥にまみれながら、もっともっとと夢中に掘ってしまいます。