あるアフリカ人がイエスを信じた故に殺されました。名前は分かっていませんが、殉教前に手記を残しました。20世紀前半に書かれ、今では「恥じない者たちの交わり」と呼ばれています。

彼の言葉は、全てのキリスト者を鼓舞するもので、聖霊が「力と愛と思慮分別」(Ⅱテモ1:7)を与えられるのだから「主を証しすることも、……恥じてはなりません」(8節)と弟子テモテを励ました使徒パウロの言葉に共鳴します。

前述の手記の一部はこう語ります。「私は恥じない者たちの交わりの中にいる。私は決心した。イエスの弟子であり、後戻りはしないと。たゆまない、スローダウンしない、逃げない、足を止めないと。私の過去は贖(あがな)われた。私の今は道理だ。私の未来は確かだ。……私は信仰によって生き、主の臨在に頼り、忍耐によって歩む。祈りによって己を高く保ち、聖霊の御力によって働く」

この人のような迫害にさらされることは、私たちにはないかもしれませんが、信仰が試されることは誰にでもあります。「恥じない者たち」の言葉は、その時が来てもくじけるなと迫ります。神は、「わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになる」(12節)と、パウロが語ったお方です。ですから私たちもイエスを信じる信仰を恥じることなく生きていけます。