がん専門医として約30年働いた男性が引退を決意しました。そして、患者たちの未払い金9500万円を回収しない方向で、請求代行会社と話し合いをしました。その決断に関するインタビューでこのように語っています。「ずっとスッキリしなかったのは、患者が、病気のことだけでなく、家族や仕事、さらにはお金のことまで心配しなければならないことでした。喉に魚の小骨が刺さったように感じていました」
多額の借金を負ったことがなくても、キリスト者は、霊的に類似の経験があるでしょう。聖書は罪を「負債」に例えます(マタ6:12口語訳)。そして、私たちの神に対する負債は、返せないほど膨大です。慈善事業に寄付をしたり、誰かに献身的に仕えたりしても、焼石に水。神と取引しようとしても無駄です。唯一の希望はイエス・キリストです。キリストは、十字架の死と復活により、「規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました」(コロ2:14)
人間の罪を贖(あがな)うイエスの犠牲を、自分ごととして受け入れるなら、罪の重荷から完全に解き放たれた新しい人生に一歩踏み出すことを意味します。私たちが、自分の周囲の人々や状況に、愛をもって、神の慈しみと赦しを語り、具現化する中で、神の福音が世界に広がっていきますように。
なぜ神は、あなたが人に慈悲深いかどうかを気にされるのでしょう。あなたの人生観は、イエスにあって自由になったことをどのように反映していますか。