英国の19世紀の詩人クリスティーナ・ロセッティの作品に、『よき蘇り』という詩があります。「私は目を上げる しかし、悲しみで曇り、永遠の丘は見えない」。彼女は「心が石のようで希望も恐怖も感じられない」ときの不安も打ち明けます。しかし、絶望に勝る希望、新しい命を与えるキリストの復活を思い、祈りました。「芽生えも緑も見えない それでも 必ずよみがえる 春の活力よ イエスよ、私の内に 立ち上がってください」
使徒パウロも「耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました」(Ⅱコリ1:8)。しかし、その絶望が、希望は唯一「死者を復活させてくださる神」(9節)にあることを教えてくれたのです。また、福音の希望を不完全な「土の器」、つまり、己の体に入れて持ち運んでいるとき、キリストの復活の命と希望は、「この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものではないこと」(4:7)を啓示しながら、私たちを通して輝くことも学びました。
ロセッティの詩も同様です。彼女は、自分は割れた鉢のようだと語ります。しかし、その自分を神にささげて、火の中に投げ入れよ、溶かされ再形成されよ、「神、我が王へ」のささげものになるように、と祈ります。そして、「イエスよ、私をお飲みください」と締めくくります。
自分の苦しみを赤裸々に神に打ち明けることで、どのような慰めと希望を頂き、どんな風にあなたの心の一片を作り変えていただきましたか。