ある若い医師の行動を病院で偶然目撃して感銘を受けました。彼は、上司らしき年配の医師とインターンたちと病室を巡回していました。彼らは、患者の病状を説明する年配の医師に熱心に耳を傾けていましたが、突然、患者が「用を足したい。でも自分は起き上がれない」と訴えました。看護助手を待つ余裕のない切羽詰まった様子で、病室の空気が緊張しました。
すると、その若い医師は、病室の棚から差し込み便器を取り出し、患者の介助をしました。病室に到着した看護助手は、適切な介助が既に成されていたことに驚きました。年配の医師は、その若い医師の行動を誇らしげに誉めました。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず」(フィリ2:6)と、聖書は語ります。イエスは人となられ、私たちの罪を贖(あがな)うために、ご自分の命を犠牲にされました。私たちに助けと救いが必要だと見るや、神の御前にへりくだり、ご自身の命をささげられました(8節)。「自分を無にして、僕の身分になり」(7節)と、使徒パウロが語るとおりです。
私たちは、イエスの謙遜と犠牲を模範に、人と接するように召されています。神が助けてくださいます。「プライドが許さない」というような仕事であっても、神の前にへりくだり、行いましょう。
どのようにして、イエスの謙遜の姿勢を、自分の行動に反映させますか。今、へりくだって誰かに仕えるとすれば、具体的にはどんな形になるでしょう。