イエスは優しいお方ですから(マタ19:13-15)、誰かを愚か者と軽蔑するのは、そのお人柄と矛盾しています。しかし、パリサイ人たちについて語るとき、イエスはこのような言葉を使われました(マタ23:17-19、ルカ11:39-40)。
インターネットの聖書検索サイト「バイブル・ゲートウェイ」を訪れる人は、月間約800万人です。2010年はヨハネの福音書3章16節が最も検索されたみことばでした。
人生は危険な冒険です。成功を収めることもありますが、深い落胆も味わいます。失敗という現実におびえて、将来に価値を見いだせず、心がさまようこともあります。
順調に信仰が成長しない人に対して、批判的な気持ちになるのは簡単です。私たちは、そこを直さなくては困ったことになると、その人の心配なところに目が行きがちです。しかし、彼(彼女)の正しいところにも目を留めるべきです。使徒パウロは、それぞれの教会が正すべきところを手紙で指摘しましたが、良い点についても記して、神に対する感謝の言葉を述べています。
スポーツをして一番良いことは何でしょう。優勝、記録を打ち立てること、あるいは名誉を得ることでしょうか。大学バスケットボールの殿堂といわれるペンシルベニア大学のバスケットボール競技場「パレストラ」には、それにかかわる飾り版があります。
私たち夫婦が自宅を新築しようとしたとき、大工仕事を趣味とする親戚や友人に頼むのではなく、プロの建築業者を雇って機能的で美しい家を建ててもらおうとしました。しかし最近の教会堂の建設についていうなら、美しさの優先順位は必ずしも高いとは言えません。美しさを非実用性と関連づける人もいて、そのような人は、装飾は無駄だといいます。
正直なところ、もう行くのはうんざりでした。ここ4週間というもの、私たち夫婦は不良品の冷蔵庫を返品して、代金を払い戻してもらおうと苦労していました。再度、売り場責任者と話をしましたが、今日も決着しそうにありません。もうあきらめるしかないのだろうかと思いながら、温和な態度を保とうと務めていました。
少年の私を誰よりも良く知っていたのは、私をキリストの救いに導いてくれたフランシス・アレン牧師です。彼は、悔い改めを強く迫る厳しい礼拝メッセージをよく語りました。しかし、ひとたび講壇を降りれば、神のやさしさを完璧に映し出すような温厚な方でした。
軍隊の指揮官は、必ず任務に見合った十分な兵力を獲得しようとします。戦闘員の数は足らないよりは余るほうが良いとみんなが思いますが、何人いれば十分なのかに関しては意見が分かれます。